磯上の山桜(桜見ごろ4月20日頃)栃木桜名所

磯上の山桜

磯上の山桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。磯上の山桜は栃木の桜名所です。磯上の山桜の桜見ごろは例年4月20日頃です。磯上の山桜は推定樹齢300年のヤマザクラで、樹高約13.0メートル・幹周り約5.1メートルです。枝張りは東約13.9メートル・西約7.8メートル・南約4.0メートル・北約7.4メートルです。

【磯上の山桜 アクセスマップ】
場所・・・栃木県大田原市両郷

【磯上の山桜 アクセス・交通】
*JR黒磯駅(車約35分)

*東北道那須IC(車約40分)または東北道西那須野塩原IC(車約50分)

【磯上の山桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【磯上の山桜 時間(要確認)】
自由

【磯上の山桜 料金(要確認)】
無料

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【磯上の山桜 歴史・簡単概要】
磯上の山桜(いそがみのやまざくら)は栃木県大田原市両郷にあります。磯上の山桜は大田原市北部にある両郷の磯上から八溝山(やみぞさん)への上り口にあたる一の鳥居が立つ右横の小高い所にあります。八溝山は茨城県と福島県の県境にある標高約1,021.8メートルの山で、茨城県の最高峰です。八溝山は古来から信仰の山とされ、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が山容から八溝山と命名したとも言われています。山頂には豊作祈願の神とされる八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)、八合目に坂東三十三箇所の21番札所である日輪寺(にちりんじ)が建立されています。ちなみに1864年(元治元年)の天狗党の乱では水戸天狗党の別働隊が八溝嶺神社に立て篭もり、下山後に捕縛されて多くが処刑されました。磯上の山桜は推定樹齢300年のヤマザクラ(山桜)で、樹高約13.0メートル・幹周り約5.1メートルです。磯上の山桜は地上4メートルで枝が2本に分かれ、1本は真直ぐ上に伸びて2本に分かれ、全体として枝が傘状に広がっています。枝張りは東約13.9メートル・西約7.8メートル・南約4.0メートル・北約7.4メートルです。ちなみに幹の下部は右巻きによじれて木肌は縦に裂け、花は白色中輪で、若葉は表面に微毛があります。なお磯上の山桜は栃木県の天然記念物に指定されています。磯上の山桜はおおたわら令和の名木選にも選ばれています。
大田原市(おおたわらし)は栃木県北東部に位置しています。大田原市は那須塩原市・さくら市・矢板市・那須町・那珂川町、茨城県の大子町、福島県の棚倉町に接しています。大田原市は中西部が那須五峰から広がる那須野が原(なすのがはら)の扇状地で、那須岳山麓を源とし、日本有数の鮎の漁獲量を誇る清流で一級河川・那珂川や那珂川水系の一級河川・箒川(ほうきがわ)、そして箒川の支流・蛇尾川(さびがわ)などが流れ、東部に八溝山地(やみぞさんち)の山々が連なっています。大田原市は平安時代に佐久山などに那須一族の荘園が開かれ、平安時代末期に弓の名手・那須与一が那須氏の居城・神田城(那須郡那珂川町)で生まれたとも言われています。ちなみに大田原市には那須氏の菩提寺で、那須与一の墓所とされる玄性寺(げんしょうじ)が再建されています。大田原市は佐久山が近世陣屋町となり、宿場町として栄えました。また大田原は中世以来大田原氏の城下町になり、江戸時代に奥州街道の宿場町・市場町として発展しました。ちなみに大田原市には日本三古碑に数えられ、日本最古の碑とも言われる那須国造碑(国宝)や俳聖・松尾芭蕉が滞在し立ち寄った史跡などもあります。大田原市は那須野が原が穀倉地帯になり、農業が盛んに行われています。ちなみに水稲は栃木県内で生産量が1番多く、軟白ネギ・イチゴなども積極的に栽培されているそうです。
*参考・・・磯上の山桜(アクセス・歴史・・・)

【磯上の山桜 見どころ・文化財】
磯上の山桜の見どころは磯上の山桜です。磯上の山桜の桜見ごろは例年4月20日頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【磯上の山桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0287-54-1110(大田原市観光協会)

【磯上の山桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
栃木桜名所・栃木桜見ごろ

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