出石城跡(桜見ごろ4月上旬頃~)兵庫桜名所
出石城跡
出石城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。出石城跡は兵庫の桜名所です。出石城跡の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。出石城跡にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)など約60本の桜の木が植えられ、出石桜まつり・ライトアップが行われます。(要確認)ソメイヨシノの後にヤエザクラが咲き、出石の桜は二度咲くと言われています。
【出石城跡 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県豊岡市出石町内町
【出石城跡 アクセス・交通】
*JR豊岡駅から全但バス・出石営業所行きの場合、出石バス停
*舞鶴若狭道福知山IC(車約50分)または播但連絡道路和田山IC(車約40分)
【出石城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【出石城跡 時間(要確認)】
自由
【出石城跡 料金(要確認)】
無料
【出石城跡 歴史・簡単概要】
出石城跡(いずしじょうせき)は兵庫県豊岡市出石町内町にあります。出石城は安土桃山時代(室町時代後期)の1574年(天正2年)に但馬国守護・山名祐豊(やまなすけとよ)が標高約321メートルの有子山(ありこやま)山頂を天守とする有子山城(ありこやまじょう)を築城して本拠としたのが始まりです。有子山山麓には下館も築かれ、城下町も整備されました。1580年(天正8年)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による第2次但馬征伐によって有子山城が落城して山名氏は滅亡しました。1595年(文禄4年)に但馬国出石藩主・小出吉政(こいでよしまさ)が城主になり、1604年(慶長9年)に但馬出石藩2代・小出吉英(こいでよしひで)が有子山城の山上の丸・天守部分を廃し、山麓の郭・館を出石城と命名し、江戸幕府に居城として届けました。堀で囲まれた三の丸、また下郭・二の丸・本丸・稲荷丸が階段状に築かれ、城下町も整備されました。1696年(元禄9年)に小出氏が改易になり、その後松平氏・仙石氏の居城になりました。明治維新後に廃城令によって辰鼓楼などを残して取り壊され、その後隅櫓・登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯が登城橋河川公園として整備されました。なお出石城は有子山城とともに続日本100名城(162番)に選ばれています。
豊岡市(とよおかし)は兵庫県北部(但馬地域)に位置しています。豊岡市は兵庫県の養父市・朝来市・香美町、京都府の京丹後市・福知山市・与謝野町に接しています。豊岡市は但馬地域最大の盆地である豊岡盆地に位置し、一級河川・円山川(まるやまがわ)やその支流である出石川(いずしがわ)・竹野川(たけのがわ)などが流れ、北部を日本海に面しています。豊岡市は日本海側気候に属する豪雪地帯で、冬に雪・夏に雨が多くて晴天の日は少ない地域です。豊岡市は古代に日高に但馬国の国府・国分寺が置かれました。豊岡市は養老年間(717年~724年)に道智上人(どうちしょうにん)が千日の修行を行うと温泉が湧出し、城崎温泉の始まりとなったとも言われています。ちなみに城崎温泉は江戸時代の温泉番付に西の関脇(最高位大関)にランクされ、その後西日本屈指の温泉街に発展しました。豊岡市は安土桃山時代の1580年(天正8年)に関白・豊臣秀吉が但馬を平定すると家臣・宮部継潤(みやべけいじゅん)が豊岡城を亀山に築城するとその城下町になり、江戸時代に豊岡藩の城下町として栄えました。豊岡市は1925年(大正14年)の北但馬地震(きたたじまじしん)で市街地の70パーセントを焼失し、その後区画整理が行われ、太平洋戦争後に兵庫県北部の行政・経済・文化の中心地になりました。
*参考・・・出石城跡(アクセス・歴史・・・)
【出石城跡 見どころ・文化財】
出石城跡の見どころは出石城跡の桜です。出石城跡の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。桜のビュースポットは西の丸です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【出石城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0796-52-4806(但馬國出石観光協会)
【出石城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●兵庫桜名所・兵庫桜見ごろ
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