勝連城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

勝連城跡

勝連城跡

勝連城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。勝連城跡ゆかりの阿麻和利(あまわり)は屋良村の百姓の子として生まれ、身体が弱かったことから山に捨てられたこともあったが、やがて茂知附按司(もちづきあじ)に召し抱えられ、その後悪政を行った茂知附按司を倒して10代目城主になり、中国などと貿易を積極的に行って大陸の技術などを取り入れたそうです。

【勝連城跡 アクセスマップ】
場所・・・沖縄県うるま市勝連南風原3908

【勝連城跡 アクセス・交通】
*那覇バスターミナルから与勝線の場合、勝連城跡前バス停(徒歩すぐ)
*那覇バスターミナルから屋慶名線の場合、西原バス停(徒歩約10分)
*宜野湾真志喜発から前原線の場合、勝連城跡前バス停(徒歩すぐ)
*中城城跡(仲順バス停)から与勝線の場合、勝連城跡前バス停(徒歩すぐ)
*おもろまち駅広場から屋慶名おもろまち線の場合、西原バス停(徒歩約10分)

【勝連城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【勝連城跡 時間(要確認)】
9:00~18:00
年中無休

【勝連城跡 料金(要確認)】
無料

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【勝連城跡 歴史・簡単概要】
勝連城跡(かつれんぐすくあと・かつれんじょうあと)は15世紀に琉球王国に最期まで抵抗した有力按司・阿麻和利(あまわり)の居城でした。勝連城は沖縄本島中部に位置する勝連半島の根元にある丘陵上に築城されています。勝連城は13世紀頃から14世紀頃に茂知附按司(もちづきあじ)が築城し、初代城主は英祖王統2代(英祖王係)・大成王(たいせいおう)の五男だったとも言われています。その後9代目城主・茂知附按司が圧政を行って酒に溺れたことから住民に信頼の厚かった阿麻和利が倒し、10代目城主になりました。しかし1458年に阿麻和利は琉球統一の為、琉球王国第一尚氏王統・第6代国王である尚泰久(しょうたいきゅう)が中城城(なかぐすくじょう)に居城させた護佐丸(ごさまる)を倒したことから尚泰久の娘、護佐丸の孫である阿麻和利の妻・百度踏揚(ももとふみあがり)とその付き人・大城賢雄(うふぐすくけんゆう)が尚泰久に伝え、大城賢雄率いる琉球王国軍によって滅ぼされました。ちなみに百度踏揚はその後大城賢雄の妻になったが、第二尚氏王統・初代国王である尚円王(しょうえんお)によって大城賢雄も滅ぼされ、玉城(たまぐすく)でひっそりと余生を送ったと言われています。その後城壁の石は道路工事の石材などに持ち去られたが、復元工事が行われました。なお勝連城跡は1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されました。また勝連城跡は続日本100名城(200番)にも選定されています。
勝連城跡は2000年(平成12年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)のひとつに登録されました。
*参考・・・勝連城跡(アクセス・歴史・・・)ホームページ勝連城跡(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【勝連城跡 見どころ・文化財】
勝連城跡の見どころは標高約60メートルから約98メートルに築城され、南城(ヘーグシク)・中間の内・北城(ニシグシク)から構成されてい勝連城跡そのものです。北城は北西の最高部から一の曲輪・二の曲輪・三の曲輪・四の曲輪が階段状に低くなり、一の曲輪からは北側に金武湾(きんわん)を囲む北部の山々やうるま市の離島、南側に知念半島・久高島・中城城跡を一望することができます。

【勝連城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0989-78-7373

【勝連城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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