櫛田神社(アクセス・概要・見どころ・・・)

櫛田神社

櫛田神社

櫛田神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。櫛田神社の博多祇園山笠・追い山笠では大太鼓の合図とともに舁き山笠(恵比須流・土居流・大黒流・東流・中洲流・西流・千代流)が櫛田神社に櫛田入りし、その後境内を出て旧博多部に設けられた約5キロの追い山笠コースを須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁き、その所要時間を競います。

【櫛田神社 アクセスマップ】
場所・・・福岡県福岡市博多区上川端町1-41

【櫛田神社 アクセス・交通】
*JR博多駅(徒歩約15分)
*地下鉄・祇園駅(徒歩約5分)または中洲川端駅(徒歩約8分)

【櫛田神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【櫛田神社 時間(要確認)】
4:00~22:00

博多歴史館
10:00~17:00

【櫛田神社 料金(要確認)】
博多歴史館
大人300円

【櫛田神社 歴史・簡単概要】
櫛田神社(くしだじんじゃ)は起源が明確ではありません。櫛田神社は社伝によると757年(天平宝字元年)に三重松阪・櫛田神社から祭神・大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ・櫛田大神)を勧請したのが起源とも言われています。大幡主大神が天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)に仕える一族の神だったことから天照皇大神も一緒に勧請されたとも言われています。ちなみに三重松阪・櫛田神社は社伝によると紀元前8年(垂仁天皇22年)に第11代垂仁天皇の第4皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(天照皇大神)の神託により、天照大神を祀る場所を探す途中、案内した大若子命(おおわくごのみこと)を祀る為に創建したとも言われています。その後941年(天慶4年)に小野好古(おののよしふる)が藤原純友の乱(ふじわらのすみとも)を平定する為に京都・八坂神社(やさかじんじゃ)に祈願し、平定後に八坂神社の祭神・素盞嗚大神(すさのおおおかみ・祇園大神)を勧請したとも言われています。また櫛田神社は平安時代末期に太政大臣・平清盛が所領である肥前国神埼・櫛田宮を日宋貿易の拠点である博多に勧請したとも言われているそうです。ちなみに肥前国神埼・櫛田宮は社伝によると第12代・景行天皇が当地を巡幸した際に不幸が続いて住人が苦しんでいる為に神を祀ってなごめたことが起源とも言われています。その後戦国時代に兵火などによって度々荒廃したが、1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が博多を復興(博多町割)した際に現在の社殿が再建されました。江戸時代まで東長寺(とうちょうじ)に属する神宮寺・神護寺が櫛田神社を管理していたそうです。なお櫛田神社は中殿に大幡主大神(櫛田大神)、左殿に天照皇大神、右殿に素盞嗚大神を祀っています。ちなみに櫛田神社は博多の総鎮守とも言われ、古来から商売繁盛・不老長寿のご利益があるお櫛田さまと篤く信仰されました。
*参考・・・櫛田神社(アクセス・歴史・・・)櫛田神社(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【櫛田神社 見どころ・文化財】
櫛田神社の見どころは毎年7月に行われる博多祇園山笠です。博多祇園山笠は京都・八坂神社の祭神・素盞嗚大神を勧請した際の八坂神社の御霊会(祇園祭)が起源とも、「九州軍記」によると1432年(永享4年)に始まったとも、1241年(仁治2年)に博多で疫病が流行した際、承天寺(じょうてんじ)の開祖である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が町民に担がれて施餓鬼棚(せがきたな)に乗り、祈祷水(甘露水)を撒きながら町を清めて疫病退散を祈祷したのが起源とも言われています。ちなみに博多祇園山笠で境内に飾られる飾り山も見どころです。なお福岡県の天然記念物に指定され、博多祝い歌にも謡われる樹齢約1,000年の櫛田の銀杏も見どころです。

重要文化財・・・木造狛犬

【櫛田神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・092-291-2951

【櫛田神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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