座喜味城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
座喜味城跡
座喜味城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。座喜味城跡を築城したと言われている護佐丸(ごさまる)は曾祖父がかつて今帰仁城主(北山城主)であったが、1322年に北山王・怕尼芝(はねじ)に滅ぼされました。その後中山王・尚巴志(しょうはし)が北山征伐の軍を組織すると有力按司として参加し、北山王国滅亡後には今帰仁城主の血筋を引く者として北山守護職の要職に任命されました。
【座喜味城跡 アクセスマップ】
場所・・・沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708-6番地
【座喜味城跡 アクセス・交通】
*那覇バスターミナル29番読谷線・座喜味バス停(徒歩約15分)
【座喜味城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【座喜味城跡 時間(要確認)】
自由
【座喜味城跡 料金(要確認)】
無料
【座喜味城跡 歴史・簡単概要】
座喜味城跡(ざきみぐすくあと・ざきみじょうあと)は15世紀初頭(1416年頃~1422年頃)に築城家として名高かった琉球王国(中山)の読谷山按司(ゆんたんざあじ)・護佐丸(ごさまる)が築城したと言われています。護佐丸はかつて座喜味の北東約4キロに位置する山田グスク(恩納村(おんなそん))を居城としていたが、1416年または1422年に中部地域の中山王・尚巴志(しょうはし)が北山王を滅ぼした今帰仁城(なきじんぐすく・なきじんじょう)攻略に参戦し、その後敵からの防御や長浜港を控えた地の利を活かして座喜味城を築城したと言われています。座喜味城は標高約120メートルの丘陵地にあり、最も高いところからは読谷村(よみたんそん)のほぼ全域を見渡すことができます。ちなみに護佐丸が座喜味城を築城する際、山田グスクの石積みの石を手渡しで運んだともいう伝説が残されているそうです。太平洋戦争中に日本軍の高射砲陣地として使用され、戦後には米軍のレーダー基地が設置されました。その後1956年に琉球政府の重要文化財に指定され、1972年(昭和47年)には国の指定史跡になり、1973年(昭和48年)から城跡の発掘調査や城壁修理が行われました。なお座喜味城跡は続日本100名城(199番)にも選定されました。
座喜味城跡は2000年(平成12年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)のひとつに登録されました。
*参考・・・座喜味城跡(アクセス・歴史・・・)・座喜味城跡(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【座喜味城跡 見どころ・文化財】
座喜味城跡の見どころは黒部ダムのようなアーチ式ダムの平面アーチ構造に似ているとも言われる曲線構造の城壁です。城壁は主として布積みで積まれているが、相方積み・野面積みも部分的に使われ、沖縄グスクで使われている石積みの主要な技術を見ることができます。また読谷村のほぼ全域を見渡すことができる眺望も見どころです。なお座喜味城跡を天然の劇場として行われる芸能やイベントも見どころです。
【座喜味城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・098-958-3141(読谷村立歴史民俗資料館)
【座喜味城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月