清洲公園(桜見ごろ3月下旬頃~)愛知桜名所

清洲公園
清洲公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。清洲公園は愛知の桜名所です。清洲公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。清洲公園にはメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)など約130本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)五条川対岸には清洲城があります。
【清洲公園 アクセスマップ】
場所・・・愛知県清須市清洲3-7-1
【清洲公園 アクセス・交通】
*JR清洲駅(徒歩約15分)
*名古屋第二環状自動車道清洲東IC(車約3分)
【清洲公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【清洲公園 時間(要確認)】
自由
【清洲公園 料金(要確認)】
無料
【清洲公園 歴史・簡単概要】
清洲公園(きよすこうえん)は愛知県清須市清洲にあります。清洲公園は岐阜県多治見市にある標高約416メートルの高社山(たかやしろやま)付近を源とする庄内川水系の一級河川・五条川(ごじょうがわ)を挟んで、清洲城(きよすじょう)対岸に整備された公園です。ちなみに清洲城は室町時代の1405年(応永12年)に室町幕府管領で、斯波氏(武衛家)6代当主・斯波義重(しばよししげ)が尾張守護所である下津城の別邸として築城したのが始まりとも言われ、1478年(文明10年)に清洲城が守護所になりました。1555年(弘治元年)に守護代・織田信友(おだのぶとも)が織田信長と結んだ織田信光(おだのぶみつ)によって殺害されると織田信長が那古野城(なごやじょう)から清洲城に移って改修し、桶狭間の戦いに出陣しました。清洲公園は1922年(正11年)に開園しました。その後1999年(平成11年)3月にリニューアルされました。清洲公園には1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いに織田信長が出陣する姿を模した銅像が建立されています。信長の銅像は桶狭間の方向を見据えているそうです。信長の銅像では2012年(平成24年)に信長の正室とされる濃姫像が脇に移設され、清洲公園は「始まりの地~二人の愛と希望の丘」と称し、夫婦円満・恋愛・立身出世・必勝祈願のパワースポットになっているそうです。
清須市(きよすし)は愛知県北西部に位置しています。清須市は名古屋市・一宮市・稲沢市・北名古屋市・あま市に接しています。清須市は一級河川・庄内川(しょうないがわ)下流域の尾張平野中央部に位置し、庄内川・新川・五条川・水場川・福田川などが流れています。清須市は市域の大部分が海抜10メートル未満で、度々水害に見舞われたことから1787年(天明7年)に新川が掘られました。清須市には国の史跡である貝殻山貝塚などの朝日遺跡などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。清須市は1405年(応永12年)に室町幕府管領で、斯波氏(武衛家)6代当主・斯波義重(しばよししげ)が清洲城を築城するとその城下町になりました。清洲城は織田信長、関白・豊臣秀吉の甥で、関白・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)、徳川家康の9男で、尾張藩初代藩主・尾張徳川家の始祖である徳川義直(とくがわよしなお)らが城主となり、江戸時代初期の清洲越し(きよすごし)によって名古屋に城下町ごと移転するまでは尾張の中心地でした。ちなみに清洲城は織田信長と徳川家康が結んだ清洲同盟・本能寺の変後に行われた清洲会議の舞台になりました。清須市は清洲越し後に美濃街道の宿場町・清須宿と美濃街道の市場・枇杷島市として繁栄しました。
*参考・・・清洲公園(アクセス・歴史・・・)
【清洲公園 見どころ・文化財】
清洲公園の見どころは清洲公園の桜です。清洲公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【清洲公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・052-409-7330(清洲城管理事務所)
【清洲公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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