熊野本宮大社(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
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熊野本宮大社
熊野本宮大社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。熊野本宮大社は1889年(明治22年)の大水害までは熊野川中州の旧社地・大斎原(おおゆのはら)に中四社・下四社が造営されていたが、水害後に中四社・下四社は再建されずに2基の石祠が建てられ、2000年(平成12年)には高さ約33.9メートル・横約42メートルの日本一高い大鳥居が建てられました。
【熊野本宮大社 アクセスマップ】
場所・・・和歌山県田辺市本宮町本宮
【熊野本宮大社 アクセス・交通】
*JR新宮駅から熊野交通・奈良交通・明光バスの場合、本宮大社前バス停
*南紀白浜空港から明光バスの場合、本宮大社前バス停
*JR紀伊田辺駅から龍神バス・明光バスの場合、本宮大社前バス停
*JR紀伊勝浦駅から熊野交通の場合、本宮大社前バス停
*近鉄大和八木駅から奈良交通十津川特急バスの場合、本宮大社前バス停
【熊野本宮大社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【熊野本宮大社 時間(要確認)】
熊野本宮大社
6:00~19:00
宝物殿
10:00~16:00
不定休
【熊野本宮大社 料金(要確認)】
宝物殿
大人300円、小人100円
【熊野本宮大社 歴史・簡単概要】
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は起源が明確ではありません。熊野本宮大社は初代・神武天皇による神武東征以前から祀られ、紀元前33年(崇神天皇65年)に神勅によって社殿が旧社地・大斎原(おおゆのはら)に造営されたとも言われています。第10代・崇神天皇の時代に大斎原の櫟(いちい)の巨木に三体の月が降臨し、天火明命(あめのほあかりのみこと)の孫・熊野連(くまののむらじ)が不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)=素戔嗚尊(すさのおのみこと))であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)・速玉之男大神(はやたまのおのおおかみ))である。社殿を創って齋き祀れ」と答えたと言われています。その後奈良時代に仏教を取り入れ、平安時代以降は仏化によって熊野権現と称し、神々に仏名を配するようになりました。平安時代に宇多法皇(第59代・宇多天皇)から始まった歴代法皇・上皇・女院による熊野御幸は百余度に及び、南北朝時代からは皇族・貴族などに代わって武士・庶民に熊野信仰が広がり、身分を問わずに大勢の老若男女が競って参詣する様子は蟻の熊野詣と言われるようになりました。1889年(明治22年)の未曽有の大水害によって大斎原に造営されていた中四社・下四社が倒壊し、現在の場所に上四社を祀るようになりました。なお熊野本宮大社は上四社の第一殿(西御前)に熊野牟須美大神・事解之男神(千手観音、第二殿(中御前)に速玉之男神(薬師如来)、第三殿(證証殿)に家都美御子大神(阿弥陀如来)、第四殿(若宮)に天照大神(十一面観音)を祀っています。
熊野本宮大社は2004年(平成16年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)のひとつに登録されました。
*参考・・・熊野本宮大社(アクセス・歴史・・・)ホームページ・熊野本宮大社(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【熊野本宮大社 見どころ・文化財】
熊野本宮大社の見どころはいずれも江戸時代後期に造営された第一殿・第二殿(西御前・中御前)、第三殿(證証殿)、第四殿(若宮)です。第一殿・第二殿・第三殿は1801年(享和元年)~1802年(享和2年)、第四殿は1810年(文化7年)に造営されたと言われています。第一殿・第二殿は桁行五間・梁間四間で、入母屋造の檜皮葺です。第三殿・第四殿は桁行三間・梁間正面一間で、正面切妻造・背面入母屋造の檜皮葺です。なお熊野川中州の旧社地・大斎原に建てられた日本一高い大鳥居も見どころです。
重要文化財・・・上四社(第一殿・第二殿・第三殿・第四殿)、木造家津御子大神坐像、木造速玉大神坐像 、木造夫須美大神坐像、木造天照大神坐像、鉄湯釜
【熊野本宮大社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0735-42-0009
【熊野本宮大社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月