熊野速玉大社(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

熊野速玉大社
熊野速玉大社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。熊野速玉大社の御神木・梛(ナギ)は熊野権現の象徴とされ、古来から梛は凪に通じるとして道中安全を祈り、梛の葉を懐中に納めて熊野詣する習わしになっていました。また梛の葉は熊野三山で配布される神札・熊野牛王符(くまのごおうふ)とともに熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうです。
【熊野速玉大社 アクセスマップ】
場所・・・和歌山県新宮市新宮1番地
【熊野速玉大社 アクセス・交通】
*JR紀勢本線・新宮駅(徒歩約15分)
【熊野速玉大社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【熊野速玉大社 時間(要確認)】
日の出~日没
年中無休
【熊野速玉大社 料金(要確認)】
神宝館
500円
【熊野速玉大社 歴史・簡単概要】
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は起源が明確ではありません。熊野速玉大社は神代の頃に熊野の神々が神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後128年(景行天皇58年)に現在の場所に真新しい宮が造営され、「新宮」と号したのが起源とも言われています。熊野速玉大社では当初2つの神殿に熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)・家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)を祀っていたが、平安時代初期に現在のように12の神殿が造営されたと言われています。神倉山には当初社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰・原始信仰の中心であったと言われています。また日本最古の正史「日本書紀」には初代・神武天皇が登拝されたと記されています。その後6世紀に中国から仏教が伝わるとら神仏習合が進み、熊野権現信仰が全国に広まりました。ちなみに権現は神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味だそうです。南北朝時代からは皇族・貴族などに代わって武士・庶民に熊野信仰が広がり、身分を問わずに大勢の老若男女が競って参詣する様子は蟻の熊野詣と言われるようになりました。1883年(明治16年)の打ち上げ花火によって社殿が全焼し、1967年(昭和42年)に社殿が再建されました。なお熊野速玉大社は上四社の第一殿(結宮)に熊野夫須美大神(熊野結大神)・第二殿(速玉宮)に熊野速玉大神・第三殿(証誠殿)に家津美御子大神と国常立尊・第四殿(若宮)に天照大神・(神倉宮)に高倉下命、中四社の第五殿(禅児宮)に天忍穂耳尊・第六殿(聖宮)に瓊々杵尊・第七殿(児宮)に彦火火出見尊・第八殿(子守宮)に鵜葺草葺不合命、下四社の第九殿(一万宮)に国狭槌尊・(十万宮)に豊斟渟尊・第十殿(勧請宮)に泥土煮尊・第十一殿(飛行宮)に大戸道尊・第十二殿(米持宮)に面足尊を祀っています。
熊野速玉大社は2004年(平成16年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)のひとつに登録されました。
*参考・・・熊野速玉大社(アクセス・歴史・・・)・熊野速玉大社(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【熊野速玉大社 見どころ・文化財】
熊野速玉大社の見どころは国の天然記念物で、樹齢1,000年とも言われる御神木・梛(ナギ)です。梛は1159年(平治元年)の社殿落成の際に平清盛の嫡男で、熊野三山造営奉行・平重盛(たいらのしげもり)が手植したとも言われています。なお梛は高さ約20メートル・幹周り約6メートルで、国内最大とも言われています。
国宝・・・古神宝類、木造熊野速玉大神坐像、木造夫須美大神坐像、木造家津御子大神坐像、木造国常立命坐像
重要文化財・・・木造伊邪那岐神坐像、木造伊邪那美神坐像、木造皇太神坐像、きゅう漆金銅装神輿、きゅう漆金銅装神幸用船、太刀銘正恒
【熊野速玉大社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0735-22-2533
【熊野速玉大社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月