目黒不動尊瀧泉寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
目黒不動尊瀧泉寺
目黒不動尊瀧泉寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。目黒不動尊瀧泉寺の本尊・目黒不動尊は江戸時代初期に江戸幕府3代将軍・徳川家光の愛鷹が鷹狩の最中に行方知れずになり、家光が自ら目黒不動尊に額づいて祈願するとたちまち愛鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰り、家光がその威力を尊信して大伽藍を復興されたと言われています。
【目黒不動尊瀧泉寺 アクセスマップ】
場所・・・東京都目黒区下目黒3-20-26
【目黒不動尊瀧泉寺 アクセス・交通】
*東急目黒線・不動前駅(徒歩15分)
*JR山手線・目黒駅(徒歩20分)
*JR五反田駅から東急バス・渋谷行きの場合、目黒不動尊バス停(徒歩すぐ)
【目黒不動尊瀧泉寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【目黒不動尊瀧泉寺 時間(要確認)】
自由
開堂6:30~
【目黒不動尊瀧泉寺 料金(要確認)】
無料
【目黒不動尊瀧泉寺 歴史・簡単概要】
目黒不動尊(めぐろふどうそん)・瀧泉寺(りゅうせんじ)は起源が明確ではありません。目黒不動尊は寺伝よると808年(大同3年)に15歳の比叡山第3世天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が師である広智阿闍梨(こうちあじゃり)に伴われて故郷の栃木・下野国から比叡山延暦寺の伝教大師・最澄のもとに向かう途中に目黒に立ち寄り、夢中に現れた神人の尊容を黙想して自ら不動明王を刻んで安置したのが起源とも言われています。慈覚大師・円仁の夢中には面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、おても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れ、「我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん」と告げたとも言われています。その後838年(承和5年)に慈覚大師・円仁は最後の遣唐使として唐(中国)に渡り、長安・青竜寺(青龍寺)の不動明王を拝して神人が不動明王であると分かり、帰国して堂宇を建立したと言われています。慈覚大師・円仁は堂宇建立を決意した際、法具の独鈷(どっこ)を投じるとそこから泉が湧き、独鈷の瀧と名付け、その霊泉に因んで「瀧泉寺」と号しました。ちなみに独鈷の滝は浴びると病気が治癒すると信じられていたそうです。860年(貞観2年)に第52代・清和天皇から勅額「泰叡」を賜り、山号を「泰叡山」にしました。その後1615年(元和1年)の火災によって本堂が焼失し、1630年(寛永7年)に寛永寺の子院・護国院の末寺になり、江戸幕府初代将軍・徳川家康の側近で、黒衣の宰相と言われた天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになりました。1634年(寛永11年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の庇護によって50棟余の大伽藍が建立され、目黒御殿とも称され、江戸名所図会(えどめいしょずえ)にも描かれました。1812年(文化9年)から湯島天満宮・谷中感応寺とともに江戸の三富と言われた富くじが行われるようになったが、1842年(天保13年)の天保の改革によって中止になりました。なお目黒不動尊は関東最古の不動霊場として、熊本・木原不動尊と千葉・成田不動尊とともに日本三大不動に数えられました。また江戸三大不動・江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)にも数えられました。
*参考・・・目黒不動尊瀧泉寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ・目黒不動尊瀧泉寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【目黒不動尊瀧泉寺 見どころ・文化財】
目黒不動尊瀧泉寺の見どころは東京都指定有形文化財である前不動堂・目黒区指定有形文化財である勢至堂です。前不動堂は江戸時代中期に建立された宝形造・朱塗りの小堂です。勢至堂は江戸時代中期に建立された宝形造の小堂です。1962年(昭和37年)に再建された鉄筋コンクリート造の仁王門や1981年(昭和56年)に再建の鉄筋コンクリート造の大本堂も見どころです。なお数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、現在もこんこんと湧き出る独鈷の滝も見どころです。
史跡・・・青木昆陽墓
【目黒不動尊瀧泉寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3712-7549
【目黒不動尊瀧泉寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月