御船ケ丘梅林(梅見ごろ2月中旬頃~)佐賀梅名所
御船ケ丘梅林
御船ケ丘梅林(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。御船ケ丘梅林は佐賀の梅名所です。御船ケ丘梅林の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月中旬頃です。御船ケ丘梅林には約1万本の梅の木が植えられ、「一目1万本」とも称されています。御船ケ丘梅林では早春に梅の花が咲き、5月下旬頃に「うめ~ランド」が開催されています。
【御船ケ丘梅林 アクセスマップ】
場所・・・佐賀県武雄市武雄町武雄5166
【御船ケ丘梅林 アクセス・交通】
*武雄温泉駅(徒歩約20分)
【御船ケ丘梅林 アクセス・駐車場】
駐車場不明
【御船ケ丘梅林 時間(要確認)】
自由
【御船ケ丘梅林 料金(要確認)】
無料
【御船ケ丘梅林 歴史・簡単概要】
御船ケ丘梅林(みふねがおかばいりん)は佐賀県武雄市武雄町武雄にあります。御船ケ丘梅林は武雄市のシンボルとされる標高約207メートルの御船山(みふねやま)東麓一帯に広がる面積約16万5,000平方メートルの梅林です。ちなみに御船山の名称は古代に第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后である神功皇后(じんぐうこうごう) が三韓征伐(さんかんせいばつ)から帰った際に御船(兵船)が繋がれたことに由来しています。御船山では東麓に武雄市内でも最古の由緒がると言われる武雄神社(たけおじんじゃ)、南西麓に第28代佐賀藩自治領武雄領主で、武雄鍋島氏9代当主・鍋島茂義(なべしましげよし)の別邸跡である御船山楽園(みふねやまらくえん)もあります。御船ケ丘梅林は1942年(昭和17年)に面積約3万坪の土地に1万本の梅の木を植え、その横に如蘭塾(じょらんじゅく)が設けられたのが始まりです。如蘭塾は佐賀県鹿島市出身で、満州での事業で成功を収めた野中忠太が開いた全寮制の私塾で、日本と満州の善隣友好と文化交流を目的としていました。御船ケ丘梅林には約1万本の梅の木が植えられ、「一目1万本」とも称されています。御船ケ丘梅林では早春に梅の花が咲き、5月下旬頃に「うめ~ランド」が開催されています。御船ケ丘梅林には茶屋も設けられ、名物「梅の花餅」を購入することもできます。
武雄市(たけおし)は佐賀県西部に位置しています。武雄市は佐賀県の多久市・唐津市・伊万里市・嬉野市・白石町・大町町・有田町、長崎県の波佐見町に接しています。武雄市は武雄盆地と周辺の丘陵地に位置し、標高約447メートルの神六山(じんろくざん)を源とする六角川水系の本流で一級河川・六角川(ろっかくがわ)上流・中流域に広がり、西側に黒髪山(くろかみやま)系・南東側に杵島山(きしまやま)系の山々があり、武雄川・六角川などが流れています。武雄市は古来から交通の要衝で、古代の官道が通っていました。また武雄市は約1,200年前に「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)・奈良時代初期編纂」に記された武雄温泉(たけおおんせん)が開湯されたとも言われています。武雄温泉には第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐から凱旋した際に太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ温泉が湧き出したと言われる伝説が残されています。また武雄温泉は伊達政宗・宮本武蔵・シーボルト・吉田松陰が入湯したとも言われています。武雄市は江戸時代に長崎街道の宿場町と六角川の舟運で栄えました。また武雄市は江戸時代に炭鉱町としても栄えたが、1972年(昭和47)までに炭鉱が閉山しました。
*参考・・・御船ケ丘梅林(アクセス・歴史・・・)
【御船ケ丘梅林 見どころ・文化財】
御船ケ丘梅林の見どころは御船ケ丘梅林の梅です。御船ケ丘梅林の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【御船ケ丘梅林 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0954-22-2256(清香奨学会)
【御船ケ丘梅林 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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