宮ノ陣神社(梅見ごろ2月中旬~)福岡梅名所

宮ノ陣神社

宮ノ陣神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。宮ノ陣神社は福岡の梅名所です。宮ノ陣神社の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月中旬頃です。宮ノ陣神社には懐良親王お手植えと言われる樹齢600年の紅梅(久留米市の天然記念物)など約80本の梅の木が植えられています。宮ノ陣神社では将軍梅の見ごろに将軍梅梅祭りが行われています。(要確認)

【宮ノ陣神社 アクセスマップ】
場所・・・福岡県久留米市宮ノ陣5-12-1

【宮ノ陣神社 アクセス・交通】
*西鉄天神大牟田線宮ノ陣駅(徒歩約10分)

*九州道久留米IC(車約10分)

【宮ノ陣神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【宮ノ陣神社 時間(要確認)】
境内自由

【宮ノ陣神社 料金(要確認)】
境内無料

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【宮ノ陣神社 歴史・簡単概要】
宮ノ陣神社(みやのじんじんじゃ)は福岡県久留米市宮ノ陣にあります。宮ノ陣神社は南北朝時代の1359年(正平14年・延文4年)8月6日に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が征西大将軍(せいせいたいしょうぐん)として派遣した懐良親王(かねよししんのう)と菊池氏・新田氏・五条氏など諸将が率いた南朝方・軍勢4万と大友氏が率いた北朝方・軍勢6万が戦った筑後川の戦い(ちくごがわのたたかい・大保原の戦い)の際、懐良親王が陣を置いた場所で、この地が宮ノ陣と言われるようになったと言われています。また懐良親王は樹齢600年の紅梅も手植えし、将軍梅と言われるようになったと言われています。ちなみに筑後川の戦いは南北朝時代における九州最大の合戦で、日本三大合戦にも数えられ、懐良親王が負傷し、両軍合わせて5,400余人が討死にし、南朝方が勝利しました。宮ノ陣神社は1888年(明治21年)に筑後国一宮・高良神社(こうらたいしゃ)宮司・船曳鉄門(ふなびきかねと)が中心となって神殿を建立し、懐良親王の甥で、後征西将軍宮(のちのせいせいしょうぐんのみや)・良成親王(よしなりしんのう)を祀ったのが起源です。その後1911年(明治44年)に懐良親王が合祀されました。宮ノ陣神社には将軍梅など約80本の梅の木が植えられています。将軍梅は久留米市内で最も大きい梅の木で、久留米市の天然記念物に指定されています。将軍梅は一辺9.4メートルの正方形の石囲いの中で保護されています。ちなみに将軍梅以外の梅は例年2月中旬頃に見ごろを迎えます。宮ノ陣神社では将軍梅の見ごろに将軍梅梅祭りが行われています。(要確認)
久留米市(くるめし)は福岡県南部(筑後地方)に位置しています。久留米市は福岡県内でいずれも政令指定都市である福岡市・北九州市に次いで3番目に人口が多い都市です。久留米市は福岡県の小郡市・朝倉市・筑後市・大川市・うきは市・八女市・大木町・広川町・大刀洗町、佐賀県の鳥栖市・神埼市・みやき町に接しています。久留米市は九州最大の平野である筑紫平野(つくしへいや)に位置し、南部から南東部に耳納山地(みのうさんち)があり、市域の中央を東西に筑後川水系の本流で一級河川・筑後川(ちくごがわ)が流れています。筑後川は九州最大の河川で、利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川に数えられ、筑紫次郎(筑紫二郎)とも言われています。久留米市は古来筑後国の国府が置かれ、筑後国の中心として栄えました。久留米市は永正年間(1504年~1521年)に篠原城(久留米城)が築城され、1621年(元和7年)に久留米藩初代藩主・有馬豊氏(ありまとようじ)が入府すると久留米城を大規模に拡張し、その城下町として発展しました。久留米市は豚骨ラーメン発祥地(久留米ラーメン)としても広く知られています。
*参考・・・宮ノ陣神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【宮ノ陣神社 見どころ・文化財】
宮ノ陣神社の見どころは宮ノ陣神社の梅です。宮ノ陣神社の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【宮ノ陣神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0942-33-4422(久留米市観光案内所)

【宮ノ陣神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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