向島百花園(桜見ごろ2月下旬頃~)東京桜名所

向島百花園

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向島百花園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。向島百花園は東京の桜名所です。向島百花園の桜見ごろは例年2月下旬頃~4月下旬頃です。向島百花園にはソメイヨシノ(染井吉野)・カンヒザクラ(寒緋桜)・フゲンゾウ(普賢象)など29本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)向島百花園は梅の名所でもあります。

【向島百花園 アクセスマップ】
場所・・・東京都墨田区東向島3-18-3

【向島百花園 アクセス・交通】
*東武鉄道東向島駅(徒歩約8分)

【向島百花園 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【向島百花園 時間(要確認)】
9:00~17:00 受付16:30終了
年末・年始(12月29日~翌年1月3日)は休園

【向島百花園 料金(要確認)】
個人
一般150円、65歳以上70円、小学生以下・都内在住在学の中学生無料

団体(20名以上)
一般120円、65歳以上50円

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【向島百花園 歴史・簡単概要】
向島百花園(むこうじまひゃっかえん)は東京都墨田区東向島にあります。向島百花園は江戸時代中期の庭園を整備した面積約8,718.52平方メートルの都立庭園です。向島百花園は町人文化が花開いた文化・文政年間(1804~1830年)の1804年(文化元年)に仙台出身の骨董商・佐原鞠塢(さわらきくう)が旗本・多賀氏の屋敷跡に文人墨客の協力により、草花鑑賞を中心とした民営の花園を造って開園しました。向島百花園は360本の梅の木が植えられ、亀戸の清香庵字臥竜梅(せいきょうあんあざがりょうばい)の梅屋敷に対して新梅屋敷とも、花屋敷とも言われたが、1809年(文化6年)頃から百花園と言われるようになりました。百花園の名称は梅は百花に魁けて咲く・四季百花の乱れ咲く園という意味があるとも、江戸琳派の祖である絵師・酒井抱一(さかいほういつ)が命名したとも言われています。明治時代以降に度々水害に見舞われて荒廃し、1938年(昭和13年)に東京市に寄付され、翌1939年(昭和14年)7月に有料で制限公開が始まりました。向島百花園には御成座敷(集会場)などがあります。向島百花園には桜以外にもウメ・ハギ・春の七草・秋の七草・セツブンソウ・カタクリなど草本類約230種が植えられています。なお向島百花園は国の史跡・国の名勝に指定されています。
墨田区(すみだく)は東京都区部北東部に位置しています。墨田区の名称は隅田川の堤・墨堤と隅田川から一字ずつ取ったことに由来しています。墨田区は東京都の特別区の一つで、足立区・千代田区・荒川区・世田谷区・板橋区・台東区・江戸川区・大田区・中央区・葛飾区・豊島区・北区・中野区・江東区・練馬区・品川区・文京区・渋谷区・港区・新宿区・目黒区・杉並区とともに23区を構成し、中央区・台東区・江東区・荒川区・足立区・葛飾区・江戸川区に接しています。墨田区は東側の荒川(あらかわ)・中川(なかがわ)と西側の隅田川(すみだがわ)挟まれた江東デルタ地帯北部に位置し、大横川・横十間川・北十間川・竪川などの河川や運河が流れ、東部地域は海抜ゼロメートル地帯になっています。墨田区はかつて南部が湿地帯だったが、1657年(明暦3年)の振袖火事(ふりそでかじ・明暦の大火)による防火対策の為に武家屋敷・寺社・町家が移転して発展しました。墨田区では明治時代以降に工場が進出し、中小工場・家内工業が多く、住宅・商店が密集している下町の代表的な地域になりました。なお墨田区には東京スカイツリー・江戸東京博物館・両国国技館があります。
*参考・・・向島百花園(アクセス・歴史・・・)

【向島百花園 見どころ・文化財】
向島百花園の見どころは向島百花園の桜です。向島百花園の桜見ごろは例年2月下旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【向島百花園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3611-8705(向島百花園サービスセンター)

【向島百花園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
東京桜名所・東京桜見ごろ

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