沼田公園(桜見ごろ4月上旬頃~)群馬桜名所

沼田公園
沼田公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。沼田公園は群馬の桜名所です。沼田公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。沼田公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヒガンザクラ(彼岸桜)・シダレザクラ(しだれ桜)など約210本の桜の木が植えられ、ライトアップが行われています。(要確認)
【沼田公園 アクセスマップ】
場所・・・群馬県沼田市西倉内町594
【沼田公園 アクセス・交通】
*JR沼田駅から関越交通バスの場合、沼田局前バス停(徒歩約5分)
*関越自動車道沼田IC(車約10分)
【沼田公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【沼田公園 時間(要確認)】
自由
【沼田公園 料金(要確認)】
無料
【沼田公園 歴史・簡単概要】
沼田公園(ぬまたこうえん)は群馬県沼田市西倉内町にあります。沼田公園は沼田城跡に整備された総合公園です。沼田城は戦国時代(室町時代後期)の1532年(天文元年)に沼田氏12代・沼田顕泰(ぬまたあきやす・万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす))が築城し、倉内城(くらうちじょう)とも言われて沼田氏の拠点になりました。沼田城は関東へ至る交通の要衝だったことから越後の上杉氏・小田原の北条氏・甲斐の武田氏などの戦国大名が争奪戦を繰り広げ、1580年(天正8年)に武田勝頼(たけだかつより)の命を受けた真田昌幸(さなだまさゆき)が沼田城を攻略し、翌1581年(天正9年)に奪還に来攻した沼田景義(ぬまた かげよし)が城内で謀殺されて沼田氏が滅亡しました。その後真田昌幸の嫡子・真田信幸(のぶゆき)が城主になって城郭を整備し、1597年(慶長2年)に天守が完成したとも言われています。江戸時代中期の1681年(天和元年)11月に上野沼田藩第4代藩主・真田信利(さなだのぶとし)に改易され、翌1682年(天和2年)に沼田城が破却されて堀も埋められました。1916年(大正5年)に旧・沼田藩士の子孫・久米民之助(くめたみのすけ)が沼田城跡を購入して公園として整備し、1926年(大正15年)に沼田市へ寄贈されて沼田公園になりました。1983年(昭和58年)にかつて旧・沼田町役場内に建てられ、時鐘(ときのかね)として親しまれた鐘楼が復元されました。沼田公園には樹齢400年以上とも言われる御殿桜が植えられ、沼田城の形見とも言われています。なお沼田城は続日本100名城(116番)に選ばれています。
沼田市(ぬまたし)は群馬県北部に位置しています。沼田市は群馬県の前橋市・桐生市・渋川市・みどり市・高山村・みなかみ町・片品村・昭和村・川場村、栃木県の日光市に接しています。沼田市は沼田盆地に位置し、標高約1,827メートルの赤城山・標高約2,158メートルの武尊山(ほたかやま)などに囲まれ、西部を坂東太郎とも言われる利根川水系の本流である一級河川・利根川、南部をその支流である一級河川・片品川が流れ、大規模な河岸段丘となっています。沼田市は1532年(天文元年)に沼田城主・沼田顕泰(ぬまたあきやす)が段丘北西の断崖に沼田城を築城し、その城下町として発達しました。戦国時代以降は真田氏・本多氏・黒田氏・土岐各氏の城下町として栄えました。ちなみに戦国末期には真田昌幸・信幸の領有になったそうです。また三国街道の宿場町としても栄え、六斎市が開かれて農産物・林産物などが集まる市場町としても栄えました。ちなみに六斎市では繭・生糸・大豆・雑穀・薪炭・木材などが取り引きされていたそうです。沼田市は現在日光国立公園・尾瀬国立公園の玄関口に当たり、老神温泉・白沢高原温泉・吹割の滝・薗原湖などの観光地・行楽地があります。
*参考・・・沼田公園(アクセス・歴史・・・)
【沼田公園 見どころ・文化財】
沼田公園の見どころは沼田公園の桜です。沼田公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【沼田公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0278-25-8555(沼田市観光協会)
【沼田公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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