西福寺(紅葉見ごろ11月中旬頃~)福井紅葉名所
西福寺
西福寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。西福寺は福井の紅葉名所です。西福寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。西福寺の書院庭園(国の名勝)は江戸時代中期に作庭された面積約1,400坪の築山林泉式庭園で、極楽浄土を地上に表現したとも言われています。書院庭園は朝日に映える新緑・紅葉がまるで別世界のようだとも言われています。
【西福寺 アクセスマップ】
場所・・・福井県敦賀市原13-7
【西福寺 アクセス・交通】
*JR敦賀駅からバスの場合、西福寺バス停(徒歩約2分)
*北陸道敦賀IC(車約15分)
【西福寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【西福寺 時間(要確認)】
9:00~16:30
【西福寺 料金(要確認)】
大人300円、中学生以下無料
【西福寺 歴史・簡単概要】
西福寺(さいふくじ)は福井県敦賀市原にあります。西福寺は南北朝時代の1368年(応安元年・正平23年)に浄土宗の僧・良如上人(りょうにょしょうにん)が北朝第4代・後光厳天皇の勅願によって創建したと言われています。1368年(応安元年・正平23年)8月10日に良如上人は布教行脚の途中、敦賀港を過ぎたころで笙ノ橋から西に光明の中に往立する阿弥陀三尊を見ました。光明を辿って行くとこの地(原)で白狐が現れ、山麓で阿弥陀三尊は大石と化しました。思議な気持ちで鍬で土を掘ると地中から銀匙(ぎんさじ)・銅鉢(どうばち)・和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)が出土し、仏法有縁の地として一宇の建立を決めました。北朝第4代・後光厳天皇がこの奇瑞を聞くと伽藍建立の勅許を下し、室町幕府初代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)に建立を手助けするように命じ、同年11月に仏殿が建立され、同年12月に本尊が造仏されました。北朝第4代・後光厳天皇から寺額を賜り、大原山西福寺と号しました。桃山時代の1593年(文禄2年)に前身の建物(禅宗様仏殿)の部材を利用して阿弥陀堂(重要文化財)が建立され、江戸時代中期の1683年(天和3年)に書院(重要文化財)が建立され、江戸時代中期に書院庭園(国の名勝)も作庭されたと言われています。江戸時代後期の1808年(文化5年)に御影堂(重要文化財)が建立されました。
敦賀市(つるがし)は福井県のほぼ中央(嶺南地方)に位置しています。敦賀市の市名は古代以来の港名に由来しています。敦賀市は福井県の南越前町・美浜町、滋賀県の高島市・長浜市に接しています。敦賀市は若狭湾の支湾・敦賀湾に臨む敦賀平野を中心に敦賀半島東半部を占め、周辺に野坂山地・木ノ芽山地などがあり、笙の川(しょうのかわ)・黒河川(くろこがわ)・木の芽川(きのめがわ)などが流れ、北側を敦賀湾に面しています。敦賀市は西部から南東部に掛け、敦賀三山(野坂岳(のさかだけ)・西方ヶ岳(さいほうがたけ)・岩籠山(いわごもりやま))などの山々に三方を囲まれた扇状地に位置し、季節風の強まる冬場でも比較的に気候が穏やかです。敦賀市は日本海有数の良港を擁し、古来から畿内と北陸道を結ぶ北国街道の脇街道・西近江路などの交通の要衝とされました。敦賀市では古来に大陸貿易が行われ、渤海(ぼっかい)使節団(渤海使)を接待する松原客館(まつばらきゃっかん)が置かれました。敦賀市は江戸時代の1672年(寛文12年)に西廻航路が開かれるは西廻航路の中継港として栄えました。敦賀市は1899年(明治32年)に敦賀湾が開港場に指定され、1902年(明治35年)にロシア・ウラジオストクとの間に定期航路が開設され、シベリア鉄道によるヨーロッパへの最短路になりました。なお敦賀市は敦賀半島の先端・浦底に敦賀原子力発電所、その西の白木に高速増殖炉・もんじゅが立地しています。
*参考・・・西福寺(アクセス・歴史・・・)
【西福寺 見どころ・文化財】
西福寺の見どころは西福寺の紅葉です。西福寺の紅葉は例年10月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにクヌギ・ヤマモミジ・ナラ・ハゼなどが色付きます。紅葉のビュースポットは四修回廊(四面に曲がる廊下)です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【西福寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0770-22-3926(西福寺)
【西福寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●福井紅葉名所・福井紅葉見ごろ