中将姫誓願桜(桜見ごろ4月上旬頃)岐阜桜名所
中将姫誓願桜
中将姫誓願桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。中将姫誓願桜は岐阜の桜名所です。中将姫誓願桜の桜見ごろは例年4月上旬頃です。中将姫誓願桜は中将姫が後世の女性の守護を願って植えたという伝承が残されています。中将姫誓願桜はヤマザクラが突然変異したヤエザクラで、樹高約8.1メートル・根元の周囲約1.5メートルです。
【中将姫誓願桜 アクセスマップ】
場所・・・岐阜県岐阜市大洞1丁目21-2
【中将姫誓願桜 アクセス・交通】
*JR岐阜駅から岐阜バス・大洞緑団地行きの場合、光輪公園口バス停(徒歩約8分)
*東海北陸道関IC(車約15分)
【中将姫誓願桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり(願成寺)
【中将姫誓願桜 時間(要確認)】
9:00~17:00(願成寺)
【中将姫誓願桜 料金(要確認)】
無料(願成寺)
【中将姫誓願桜 歴史・簡単概要】
中将姫誓願桜(ちゅうじょうひめせいがんざくら)は岐阜県岐阜市大洞にあります。中将姫誓願桜は真言宗(しんごんしゅう)智山派(ちさんは)の願成寺(がんじょうじ)に植えられています。願成寺は寺伝によると672年(天武天皇元年)に第38代・天智天皇の皇太子・大友皇子(第39代・弘文天皇(こうぶんてんのう))と皇弟・大海人皇子(第40代・天武天皇(てんむてんのう))が皇位を争った壬申の乱(じんしんのらん)の際、大海人皇子の勝利に貢献した美濃国の豪族・村国男依(むらくにのおより)が大海人皇子から賜った朝鮮半島の高句麗(こうくり)伝来の観音像を美濃国芥見の地に安置したのが起源と言われています。中将姫誓願桜は奈良時代中期の756年(天平勝宝8年)に中将姫が後世の女性の守護を願って植えたという伝承が残されています。中将姫は美貌と才能に恵まれたが、それを憎んだ継母・照夜(てるよ)の前から迫害を受け、そこから逃れる為に各地に巡ったが、やがて病気で倒れ、願成寺に祀られている観音菩薩(かんのんぼさつ)に祈願すると平癒したことから桜を植えたと言われています。中将姫誓願桜は樹齢約1,200年のヤマザクラ(山桜)が突然変異したヤエザクラ(八重桜)で、樹高約8.1メートル・根元の周囲約1.5メートルです。中将姫誓願桜は花弁の数が20~30弁ある珍種で、プルヌス・フロリドラ・ミヨシという学名があります。ります。なお中将姫誓願桜は国の天然記念物に指定されています。また飛騨・美濃さくら33選にも選ばれています。
岐阜市(ぎふし)は岐阜県中南部に位置しています。岐阜市は岐阜県の県庁所在地です。岐阜市は大垣市・関市・山県市・本巣市・瑞穂市・羽島市・各務原市・笠松町・岐南町・北方町に接しています。岐阜市は岐阜県・愛知県・三重県に広がる濃尾平野(のうびへいや)北部に位置し、標高約1,709メートルの大日ヶ岳(だいにちがたけ)を源とし、揖斐川(いびがわ)・木曽川(きそがわ)とともに木曽三川に数えられる木曽川水系の一級河川・長良川(ながらがわ)が形成した扇状地の扇頂部にあり、長良川・武儀川(むぎがわ)・津保川(つぼがわ)・伊自良川(いじらがわ)・鳥羽川(とばがわ)などが流れています。岐阜市は内陸に位置することから夏は暑く、冬は寒い気候になっています。岐阜市は鎌倉時代前期の1201年(建仁元年)に二階堂行政(にかいどうゆきまさ)が長良川南岸にある標高約328.8メートルの金華山(きんかざん)に岐阜城の起源である砦を築城しました。戦国時代に斎藤道三(さいとうどうさん)の城下町として栄え、1567年(永禄10年)に織田信長(おだのぶなが)が斎藤氏を亡ぼして入城すると地名を井ノ口から岐阜に改め、商人・職人などを集めて城下町を繁栄させました。岐阜市は江戸時代に幕府直轄地、その後尾張藩領となって岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町の商工業の中心地として栄えました。岐阜市は太平洋戦争後に繊維産業が栄え、岐阜県の行政・商業・情報の拠点になっています。
*参考・・・中将姫誓願桜(アクセス・歴史・・・)
【中将姫誓願桜 見どころ・文化財】
中将姫誓願桜の見どころは中将姫誓願桜の桜です。中将姫誓願桜の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【中将姫誓願桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・058-243-2154(願成寺)
【中将姫誓願桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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