洞泉寺(梅見ごろ2月下旬~)山口梅名所
洞泉寺
洞泉寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。洞泉寺は山口の梅名所です。洞泉寺の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月中旬頃です。洞泉寺には樹齢300年を越える枝垂れ梅・臥龍梅や約10本の梅の古木が植えられています。2004年 (平成16年) 9月の台風21号により、梅の幹や枝が折れ、以前の樹形と変わった梅もあるそうです。
【洞泉寺 アクセスマップ】
場所・・・山口県岩国市横山1-10-31
【洞泉寺 アクセス・交通】
*JR山陽本線岩国駅からバス・錦帯橋方面行きの場合、錦帯橋バス停(徒歩約10分)
*JR山陽新幹線新岩国駅からバス・錦帯橋方面行きの場合、錦帯橋バス停(徒歩約10分)
*山陽自動車道岩国IC(車約7分)
【洞泉寺 アクセス・駐車場】
駐車場不明
【洞泉寺 時間(要確認)】
自由
【洞泉寺 料金(要確認)】
無料
【洞泉寺 歴史・簡単概要】
洞泉寺(とうせんじ)は山口県岩国市横山にあります。洞泉寺は室町時代中期の1450年 (宝徳2年) に安芸国国人で、吉川氏9代当主・吉川経信(きっかわつねのぶ)が芸州新庄 (広島県山県郡北広島町) が盤目山洞仙寺(ばんもくさんとうせんじ)を創建したのが起源と言われています。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)後に毛利家が支配していた安芸国・備後国・周防国・長門国・石見国・出雲国・隠岐国・備中国・伯耆国から周防国・長門国に領地を削減されると吉川家も安芸国から周防国に移り、江戸時代初期の1603年(慶長8年)に盤目山洞仙寺も現在の場所に移され、寺号も洞仙寺から洞泉寺に改められました。洞泉寺は周防国岩国領主・吉川家の墓所になり、6代・吉川経永(きっかわつねなが)と13代(最後)・吉川経健(きっかわつねたけ)を除く、初代・吉川広家(きっかわひろいえ)、2代・吉川広正(きっかわひろまさ)、3代・吉川広嘉(きっかわひろよし)、4代・吉川広紀(きっかわひろのり)、5代・吉川広逵(きっかわひろみち)、7代・吉川経倫(きっかわつねとも)、8代・吉川経忠(きっかわつねただ)、9代・吉川経賢(きっかわつねかた)、10代・吉川経礼(きっかわつねひろ)、11代・吉川経章(きっかわつねあきら)、12代・吉川経幹(きっかわつねまさ)など51基の墓が建立されています。洞泉寺には樹齢300年を越える枝垂れ梅・臥龍梅(がりょうのうめ)や約10本の梅の古木が植えられています。2004年 (平成16年) 9月の台風21号により、梅の幹や枝が折れ、以前の樹形と変わった梅もあるそうです。
岩国市(いわくにし)は山口県最東部に位置しています。岩国市は山口県の光市・柳井市・周南市・和木町・田布施町、広島県の大竹市・廿日市市、島根県の益田市・吉賀町に接しています。岩国市は山口県と島根県の県境にある標高約1,004メートルの莇ヶ岳 (あざみがだけ) を源とし、岩国川とも言われる山口県内一の大河である二級河川・錦川(にしきがわ)の中流域・下流域にあり、北部に西中国山地国定公園属する標高約1,337メートルの寂地山(じゃくちさん)・標高約1,109メートルの羅漢山(らかんやま)などの山々が連なり、東部を広島湾に面しています。岩国市は古くから山陽道の交通の要衝で、日本最古の和歌集「万葉集」・平安時代中期の「延喜式(えんぎしき)」にも「磐国山」・「石国駅」などと記されています。江戸時代に吉川氏が治める岩国領6万石の城下町として発展しました。旧藩政時代の干拓地に大正時代以降レーヨン・パルプ・紡績などの工場が進出して工業都市に発展し、昭和初期に日本陸軍燃料廠・海軍潜水艦訓練基地・海軍岩国航空隊など置かれて軍事都市としての色彩を強めました。太平洋戦争後に航空基地跡にアメリカの岩国基地が設置され、岩国港周辺には石油コンビナートを中心とする工業地帯が形成されました。
*参考・・・洞泉寺(アクセス・歴史・・・)
【洞泉寺 見どころ・文化財】
洞泉寺の見どころは洞泉寺の梅です。洞泉寺の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【洞泉寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0827-41-0876(洞泉寺)
【洞泉寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
テスト