唐招提寺(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

唐招提寺

唐招提寺

唐招提寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。唐招提寺見どころ・金堂は8世紀後半に鑑真和上の弟子・如宝が建立しました。金堂は創建時の姿を残し、奈良時代に創建された寺院金堂の唯一の遺構と言われています。2000年(平成12年)からの平成の大修理に伴う調査により、781年(天応元年)に伐採されたヒノキが使われていたことが分かりました。

【唐招提寺 アクセスマップ】
場所・・・奈良県奈良市五条町13-46

【唐招提寺 アクセス・交通】
*近鉄西ノ京駅(徒歩約5分)

【唐招提寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【唐招提寺 時間(要確認)】
8:30~17:00 受付16:30終了

【唐招提寺 料金(要確認)】
個人
大人・大学生600円、高校生・中学生400円、小学生200円

団体(30名以上)
大人・大学生480円、高校生・中学生320円、小学生160円

御影堂(開山忌・観月会)
大人・大学生500円、高校生・中学生300円、小学生200円

新宝蔵
大人・大学生200円、高校生・中学生・小学生100円

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【唐招提寺 歴史・簡単概要】
唐招提寺(とうしょうだいじ)は「続日本紀」などによると759年(天平宝字3年)に唐から来日した渡来僧・鑑真和上(がんじんわじょう)が第40代・天武天皇の第7皇子・新田部親王(にいたべしんのう)の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜され、戒律を学ぶ修行道場を開いたのが起源と言われています。唐律招提は当初鑑真和上の私寺で、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵・宝蔵などがあるだけだったそうです。唐招提寺の名称には唐から来日した鑑真和上の為の寺という意味があるそうです。ちなみに鑑真和上は遣唐使として唐に渡った栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)から伝戒の師としての招請を受け、753年(天平勝宝5年)に6回目の挑戦の末に日本に来日し、翌754年(天平勝宝6年)から5年間東大寺唐禅院に住し、759年(天平宝字3年)から唐招提寺で過ごし、763年(天平宝字7年)に76歳で亡くなりました。その後8世紀後半に鑑真和上の弟子で、渡来僧・如宝(にょほう)が金堂を建立し、その後も如宝や孫弟子・豊安(ぶあん)が伽藍を整備したと言われています。平安時代以降に一時衰退したが、1244年(寛元2年)に入寺し、戒律復興の祖とも、鑑真和上の再来などとも言われる中興の祖・大悲菩薩覚盛上人(だいひぼさつかくじょうしょうにん)が復興させました。ちなみに覚盛上人の命日である5月19日には病魔退散・魔除け・安産などのご利益があるとも言われているうちわまきが行われます。
唐招提寺は1998年(平成10年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・唐招提寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ唐招提寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【唐招提寺 見どころ・文化財】
唐招提寺の見どころはいずれも国宝である金堂・講堂・経蔵・宝蔵です。
●唐招提寺見どころ・金堂は8世紀後半に鑑真和上の弟子・如宝が建立しました。金堂は2000年(平成12年)からの平成の大修理に伴う調査により、781年(天応元年)に伐採されたヒノキが使われていたことが分かりました。
●唐招提寺見どころ・講堂は760年(天平宝字4年)頃に行われた平城宮の改修の際、平城宮の東朝集殿を唐招提寺に移して改修したと言われています。講堂は現在平城宮の唯一の遺構とも言われています。
●唐招提寺見どころ・経蔵は新田部親王邸の米倉を改造したものと言われています。経蔵は日本最古の校倉とも言われています。
●唐招提寺見どころ・宝蔵は759年(天平宝字3年)の創建時に建立されたと言われています。

国宝・・・金堂、講堂、鼓楼、経蔵、宝蔵、乾漆鑑真和上坐像、乾漆盧舎那仏坐像、木心乾漆千手観音立像、木心乾漆薬師如来立像、木造梵天・帝釈天立像、木造四天王立像、舎利容器
重要文化財・・・礼堂、興福寺旧一乗、絹本著色十六羅漢像、絹本著色大威徳明王像、絹本著色法華曼荼羅図、紙本著色東征絵巻 蓮行筆、木造弥勒如来坐像、木造持国天・増長天立像、木造厨子入釈迦如来立像など

【唐招提寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-33-7900

【唐招提寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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