永平寺(紅葉見ごろ11月上旬頃)福井紅葉名所

永平寺
永平寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。永平寺は福井の紅葉名所です。永平寺の紅葉見ごろは例年11月上旬頃です。永平寺は杉の林立する中に七堂伽藍(しちどうがらん)が建立され、杉が生い茂る参道から入口周辺の報恩塔(ほうおんとう)や祠堂殿(しどうでん)、そして最奥にある法堂(はっとう)周辺の紅葉が美しいとも言われています。
【永平寺 アクセスマップ】
場所・・・福井県吉田郡永平寺町志比5-15
【永平寺 アクセス・交通】
*えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅から京福バスの場合、永平寺バス停(徒歩すぐ)
*JR福井駅から京福バス・特急永平寺ライナーの場合、永平寺バス停(徒歩すぐ)
*北陸自動車道福井北JCT(車約10分)または中部縦貫自動車道永平寺IC(車約10分)
【永平寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【永平寺 時間(要確認)】
8:00~17:30(5月~10月)
8:30~17:00(11月~4月)
【永平寺 料金(要確認)】
大人500円、小学生・中学生200円
【永平寺 歴史・簡単概要】
永平寺(えいへいじ)は福井県吉田郡永平寺町志比にあります。永平寺は鎌倉時代の1243年(寛元元年)に曹洞宗の開祖・道元禅師(どうげんぜんじ)が俗弟子・波多野義重(はたのよししげ)の招きによって越前国に赴き、翌1244年(寛元2年)に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を創建し、1246年(寛元4年)に山号・寺号を吉祥山永平寺に改めたのが始まりです。ちなみに道元禅師は鎌倉時代の1200年(正治2年)に京都で生まれ、12歳の春に出家して比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で修行し、1217年(建保5年)に比叡山を下って建仁寺(けんにんじ)に入り、臨済宗の開祖・明菴栄西(みょうあんえいさい)の直弟子・明全(みょうぜん)に師事して修行しました。その後1223年(貞応2年)に明全とともに宋(中国)に渡り、天童寺(てんどうじ・天童山景徳寺)の如浄禅師(にょじょぜんじ)に師事して修行し、1227年(安貞元年)に日本に帰国し、1233年(天福元年)に宇治・興聖寺(こうしょうじ)を創建したが、比叡山延暦寺から迫害を受けたと言われています。永平寺の寺号は中国に初めて仏教が伝来した後漢の第2代皇帝・明帝(めいてい)の元号・永平に由来し、永久の和平という意味があるそうです。その後永平寺2世・孤雲懐奘(こうんえじょう)、3世・徹通義介(てっつうぎかい)が整備したが、波多野氏の援助が弱まり、寺勢が一時廃寺同然まで衰微したが、5世・義雲(ぎうん)が再興しました。しかし1340年(暦応3年)の兵火によって伽藍が焼失したが、1372年(応安5年)に北朝第5代・後円融天皇から「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を賜りました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の最中の1473年(文明5年)にも焼失したが、1539年(天文8年)に第105代・後奈良天皇から「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を賜り、1591年(天正19年)に第107代・後陽成天皇から「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を賜りました。1615年(元和元年)に江戸幕府から法度が出され、總持寺(そうじじ)とともに曹洞宗の大本山になりました。永平寺は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏を本尊として安置しています。永平寺には仏殿・法堂(はっとう)・僧堂・承陽殿(じょうようでん)・祠堂殿(しどうでん)・傘松閣(さんしょうかく)・吉祥閣(きちじょうかく)・大庫院・鐘楼堂・浴室・東司(とうす)・山門・勅使門・中雀門などが建立されています。永平寺にはモミジ・ケヤキなどが分布しています。
*参考・・・永平寺(アクセス・歴史・・・)
【永平寺 見どころ・文化財】
永平寺の見どころは永平寺の紅葉です。永平寺の紅葉は例年10月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月上旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・ケヤキなどが色付きます。紅葉のビュースポットは法堂周辺です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【永平寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0776-61-1188(大野市観光協会)
【永平寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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