不動院(紅葉見ごろ11月下旬頃)広島紅葉名所

不動院

不動院(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。不動院は広島の紅葉名所です。不動院の紅葉見ごろは例年11月下旬頃です。不動院には広島市内で唯一の国宝と言われる金堂やいずれも重要文化財である鐘楼・楼門・梵鐘・木造薬師如来坐像があります。金堂は1540年(天文9年)に建立され、1945年(昭和20年)の原子爆弾投下によって屋根の一部が吹き飛びました。

【不動院 アクセスマップ】
場所・・・広島県広島市東区牛田新町3-4-9

【不動院 アクセス・交通】
*広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)不動院前駅(徒歩約2分)
*広島駅からバス・高陽方面行きの場合、不動院前バス停(徒歩約2分)

*山陽道広島IC(車約20分)

【不動院 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【不動院 時間(要確認)】
8:00~17:00

【不動院 料金(要確認)】
境内拝観自由

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【不動院 歴史・簡単概要】
不動院(ふどういん)は広島県広島市東区牛田新町にあります。不動院は奈良時代に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が創建したとも、1540年(天文9年)に建立された金堂(国宝)に安置されている薬師如来坐像(重要文化財)などから平安時代末期には既に創建されていたとも言われています。その後南北朝時代に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)とその弟・足利直義(あしかがただよし)が日本六十余州に置いた安国寺のひとつとされ、安芸国守護・武田氏の菩提寺として栄えました。しかし室町時代後期の大永年間(1521年~1527年)の武田氏と大内氏の兵火によって伽藍が焼失し、毛利氏の外交僧で、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)からも信任されていた臨済宗の僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が再興しました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍に組した安国寺恵瓊が処刑され、毛利氏も転封されると安芸広島藩主・福島正則(ふくしままさのり)が入封し、その祈祷僧・宥珍(ゆうちん)が住持になり、臨済宗から真言宗に改め、不動明王を本尊として不動院に寺号を改めました。1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾投下によって被爆し、被爆建物リストに登録されています。不動院にはモミジなどが植えられています。不動院にはいずれも重要文化財に指定されている鐘楼・楼門・梵鐘もあります。
広島市(ひろしまし)は広島県南西部に位置しています。広島市は広島県の県庁所在地で、政令指定都市です。ちなみに広島市は中国・四国地方で最も人口が多い都市で、中国地方の中心都市です。広島市の名称は豊臣政権の五大老で、長州藩の藩祖・毛利輝元(もうりてるもと)が命名しました。広島市は中区・東区・南区・西区・安佐南区・安佐北区・安芸区・佐伯区の7区からなり、呉市・東広島市・安芸高田市・廿日市市・熊野町・海田町・府中町・坂町・北広島町・安芸太田町、海を隔てて江田島市に接しています。広島市は南側を瀬戸内海の広島湾に面し、北側には中国山地が広がっています。広島市は山地や丘陵地が約70%を占め、中心市街地は太田川水系の本流で一級河川・太田川(おおたがわ)とその分流で形成されたデルタ上にあります。広島市は1589年(天正17年)に毛利輝元が広島城を築城し、江戸時代に福島氏・浅野氏の城下町として発展しました。広島市は1945年(昭和20年)8月6日に史上初の原子爆弾が投下され、多数の一般市民が亡くなりました。1945年(昭和20年)末までには約14万人が亡くなったと言われています。
*参考・・・不動院(アクセス・歴史・・・)

【不動院 見どころ・文化財】
不動院の見どころは不動院の紅葉です。不動院の紅葉は例年11月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃です。紅葉の見ごろにモミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【不動院 連絡先(要確認)】
電話番号・・・082-221-6923(不動院)

【不動院 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
広島紅葉名所・広島紅葉見ごろ

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