護国寺(アクセス・概要・見どころ・・・)

護国寺

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護国寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。護国寺の月光殿は桃山時代に滋賀・三井寺(みついでら・園城寺(おんじょうじ))の塔頭・日光院(にっこういん)の客殿として建立されたが、その後日光院が廃され、1928年(昭和3年)に現在の場所に移築されました。月光殿は桃山時代の書院様式を伝える貴重な建築物と言われています。

【護国寺 アクセスマップ】
場所・・・東京都文京区大塚5-40-1

【護国寺 アクセス・交通】
*東京メトロ有楽町線・護国寺駅(徒歩すぐ)
*JR池袋駅から都営バスの場合、護国寺前バス停(徒歩すぐ)

【護国寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【護国寺 時間(要確認)】
9:00~16:00
年中無休

【護国寺 料金(要確認)】
無料

【護国寺 歴史・簡単概要】
護国寺(ごこくじ)は1681年(天和元年)2月7日に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が生母・桂昌院(けいしょういん)の発願により、群馬上野国・碓氷八幡宮(うすいはちまんぐう・上野国一社八幡宮)の別当・大聖護国寺(だいしょうごこくじ)の僧・亮賢僧正(りょうけんそうじょう)を開山として、幕府所属の高田薬園の地を賜って堂宇を建立し、桂昌院の念持仏・天然琥珀如意輪観世音菩薩像(絶対秘仏)を本尊に祀り、神齢山悉地院護国寺(しんれいざんしっちいんごこくじ)と称したのが起源です。ちなみに大聖護国寺は寺伝によると1215年(建保3年)に定弘が創建したと言われています。護国寺は寺領300石を賜り、翌1681年(天和2年)に堂宇が完成し、1694年(元禄7年)に300石が加増され、1697年(元禄10年)には観音堂(重要文化財)が建立されました。その後1707年(宝永4年)に護国寺3世・快意僧正(かいいそうじょう)が神田橋の護持院(ごじいん)の住職になったが、1717年(享保2年)に護持院が焼失し、その後幕命によって護持院を合寺し、観音堂を護国寺、本坊を護持院として、護持院の住職が護国寺の住職を兼ねました。明治維新後に江戸幕府の祈願寺としての後ろ盾を失って経済的に苦境に陥り、宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られて境内が縮小され、1883年(明治16年)の火災によって旧本坊を焼失し、1926年(大正15年)の火災によって本堂を焼失し、1697年(元禄10年)には徳川綱吉が建立した観音堂が本堂に改められました。大正時代から昭和初期に掛けて、実業家・茶人である高橋義雄(箒庵)が檀家総代を務めて境内を整備しました。また護国寺は桃山時代に建立された滋賀・三井寺(園城寺)の月光殿(重要文化財)を明治財界五人男・原六郎から譲り受けて移しました。
*参考・・・護国寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ護国寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【護国寺 見どころ・文化財】
護国寺の見どころは本堂・月光殿です。なお1938年(昭和13年)に滋賀・石山寺(いしやまでら)の多宝塔(国宝)を模写して建立された多宝塔も見どころです。
●護国寺見どころ・本堂は1697年(元禄10年)に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が観音堂として建立しました。本堂は1697年(元禄10年)1月に造営の幕命があり、約半年余りで完成し、同年8月に落慶供養の式典が行われました。本堂は桁行七間・梁間七間で、入母屋造の瓦棒銅板葺です。
●護国寺見どころ・月光殿は桃山時代に建立されました。月光殿は桁行七間・梁間六間で、入母屋造の妻入です。

重要文化財・・・本堂、月光殿、木造四天王立像、木造夜叉神立像、絹本著色尊勝曼荼羅図、金銅五鈷鈴、絹本墨画漁夫図 張路筆、綸子地梅樹竹模様染繍振袖、諸寺縁起集
東寺霊宝蔵文書、騎竜観音 原田直次郎筆

【護国寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3941-0764

【護国寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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