萩往還梅林園(梅見ごろ2月上旬~)山口梅名所
萩往還梅林園
萩往還梅林園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。萩往還梅林園は山口の梅名所です。萩往還梅林園の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月中旬頃からです。萩往還梅林園は面積約9,611平方メートルに緋の司・豊後・玉光枝垂・蓮久など13種・約350本の梅の木が植えられています。梅の見ごろに萩往還梅林園まつりが催されています。(要確認)
【萩往還梅林園 アクセスマップ】
場所・・・山口県萩市椿1125
【萩往還梅林園 アクセス・交通】
*JR萩駅(車約4分)
*小郡萩道路絵堂IC(車約18分)
【萩往還梅林園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【萩往還梅林園 時間(要確認)】
自由
【萩往還梅林園 料金(要確認)】
無料
【萩往還梅林園 歴史・簡単概要】
萩往還梅林園(はぎおうかんばいりんえん)は山口県萩市椿にあります。萩往還梅林園は幕末(江戸時代末期)に維新の志士たちも通ったと言われている萩往還沿いに整備された梅林園です。萩往還は1604年(慶長9年)に江戸幕府の命によって萩城に居城を移した毛利氏萩城が整備し、長門国萩(山口県萩市)と周防国三田尻(山口県防府市)をほぼ直線に結ぶ長さ約52.7キロの街道でした。萩往還梅林園は吉田松陰(よしだしょういん)の生誕160周年を記念して整備され、1992年(平成4年)3月27日に開園しました。吉田松陰は1830年(文政13年)8月4日に長州藩士・杉常道の次男として生まれ、1834年(天保5年)に叔父・吉田大助の養子になったが、1835年(天保6年)に大助が亡くなって玉木文之進から松下村塾で学ぶようになりました。1854年(嘉永7年)に黒船ポーハタン号に密航を試みて野山獄に幽囚されたが、その後出獄を許されました。1857年(安政4年)に松下村塾を引き継ぎ、身分・階級を問わずに塾生を受け入れ、高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋などが学んだが、1858年(安政5年)に野山獄に再投獄され、その後江戸に送られ、1859年(安政6年)に伝馬町牢屋敷で斬首刑に処されました。萩往還梅林園は面積約9,611平方メートルに緋梅系で最も早く開花する八重咲きの緋の司(ひのつかさ)・一重の豊後(ぶんご)・枝垂梅の玉光枝垂(ぎょっこうしだれ)・紅梅性の蓮久(れんきゅう)など13種・約350本の梅の木が植えられています。萩往還梅林園では梅の見ごろに萩往還梅林園まつりが催され、特産品などの販売・呈茶・演奏などの公演などのイベントが行われています。(要確認)
萩市(はぎし)は山口県北部に位置しています。萩市は山口県の山口市・長門市・美祢市・阿武町と島根県の益田市・津和野町に接しています。萩市は北側を除く三方を山に囲まれ、萩市中心部が山口市阿東嘉年上を源とする二級河川・阿武川(あぶがわ)が橋本川と松本川に分かれて形成した三角州デルタ地帯にあり、北側を日本海に面し、日本海に見島(みしま)、大島(おおしま)・相島(あいしま)・櫃島(ひつしま)・羽島(はじま)・肥島(ひしま)・尾島(おしま)などが浮かんでいます。萩市は日本海側に位置しているが、暖流である対馬海流(つしまかいりゅう)によって比較的気候は温暖です。萩市には市域北部に弥生時代・古墳時代の遺跡が多く分布し、古くから人が住んでいたとも言われています。萩市は1608年(慶長13年)に豊臣政権五大老の一人で、長州藩の藩祖・毛利輝元(もうりてるもと)が日本海に張り出した指月山(しづきやま)に萩城を築城すると長州藩36万石の城下町として発展しました。ちなみに幕末に吉田松陰(よしだしょういん)の私塾である松下村塾(しょうかそんじゅく)から桂小五郎(かつらこごろう・木戸孝允(きどたかよし))・高杉晋作(たかすぎしんさく)・久坂玄瑞(くさかげんずい)・伊藤博文(いとうひろぶみ)らを輩出しました。
*参考・・・萩往還梅林園(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【萩往還梅林園 見どころ・文化財】
萩往還梅林園の見どころは萩往還梅林園の梅です。萩往還梅林園の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【萩往還梅林園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0838-25-3139 (萩市観光課)
【萩往還梅林園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月