姫路城(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

姫路城

姫路城

姫路城(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。姫路城見どころ・大天守は外観5重で、内部は地上6階・地下1階です。大天守は1601年(慶長6年)から池田輝政が築きました。姫路城は幕末に新政府軍に包囲されたり、太平洋戦争中に天守に米軍の焼夷弾が直撃したりしたが、大規模な戦火に見舞われなかったことから不戦の城とも言われています。

【姫路城 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県姫路市本町68番地

【姫路城 アクセス・交通】
*JR姫路駅または山陽姫路駅(徒歩約20分)
*JR姫路駅から神姫バスの場合、姫路城大手門前(徒歩約5分)

【姫路城 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【姫路城 時間(要確認)】
9:00~16:00 閉門17:00(9/1~4/26)
9:00~17:00 閉門18:00(4/27~8/31)
12月29日・30日は休城日

【姫路城 料金(要確認)】
個人
大人1,000円、小学生・中学生・高校生300円

団体(30名以上)
大人800円、小学生・中学生・高校生240円

姫路城・好古園共通券
大人1,040円、小学生・中学生・高校生360円

【姫路城 歴史・簡単概要】
姫路城(ひめじじょう)は1333年(元弘3年)に播磨国守護・赤松則村(あかまつのりむら)が南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう・もりながしんのう)の命によって挙兵した際、京都に向かう途中で姫山に砦(とりで)を築いたのが起源とも言われています。1331年(元弘元年)に後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を掲げて挙兵し、1333年(元弘3年)に約150年間続いた鎌倉幕府が滅亡し、元弘の乱と言われました。その後1346年(正平元年)に赤松則村の次男・赤松貞範(あかまつさだのり)が姫山に本格的な姫山城を築城しました。しかし1441年(嘉吉元年)の嘉吉の乱によって赤松氏は断絶し、1467年(応仁元年)からの応仁の乱により、赤松政則(あかまつまさのり)が播磨国を取り戻し、本丸・鶴見丸を築きました。その後1580年(天正8年)に関白・豊臣秀吉が黒田孝高(くろだよしたか)から城を献上され、3層の天守閣を築いて姫路城と名称を改めました。1601年(慶長6年)に姫路宰相とも言われる池田輝政(いけだてるまさ)が城の大改築を始め、1617年(元和3年)には本多忠政(ほんだただまさ)が三の丸・西の丸などを増築しました。姫路城には内堀内の約1,000本のソメイヨシノ(染井吉野)やシダレザクラなどが植えられています。なお姫路城は白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)とも言われています。また姫路城は豊臣秀吉に因んで出世城、また不戦の城・不焼の城とも言われています。
姫路城は1993年(平成5年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
*参考・・・姫路城(アクセス・歴史・・・)ホームページ姫路城(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【姫路城 見どころ・文化財】
姫路城の見どころはいずれも国宝である大天守・乾小天守・東小天守・西小天守です。
●姫路城見どころ・大天守は1601年(慶長6年)から池田輝政が築きました。大天守は外観5重で、内部は地上6階・地下1階です。
●姫路城見どころ・乾小天守は豊臣秀吉が築いた3層の天守閣を解体した用材を使って築かれました。乾小天守は外観3重で、内部は地上4階・地下1階です。ちなみに乾小天守は3つの小天守の中で、一番大きい小天守です。
●姫路城見どころ・東小天守は外観3重で、地上3階・地下1階です。東小天守はかつて丑寅櫓(うしとらやぐら)とも言われました。
●姫路城見どころ・西小天守は外観3重で、地上3階・地下2階です。西小天守はかつて未申櫓(ひつじさるやぐら)とも言われました。

国宝・・・大天守・東小天守・西小天守・乾小天守など
重要文化財・・・渡櫓・櫓・門・土塀など多数

【姫路城 連絡先(要確認)】
電話番号・・・079-285-1146(姫路城管理事務所)

【姫路城 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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