日和山公園(桜見ごろ3月下旬頃~)山口桜名所

日和山公園

日和山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。日和山公園は山口の桜名所です。日和山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。日和山公園には高杉晋作(たかすぎしんさく)の陶像を囲むようにソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)など約250本の桜の木が植えられ、ライトアップが行われます。(要確認)

【日和山公園 アクセスマップ】
場所・・・山口県下関市丸山町5

【日和山公園 アクセス・交通】
*JR下関駅(徒歩約15分)

*中国自動車道下関IC(車約15分)

【日和山公園 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【日和山公園 時間(要確認)】
自由

【日和山公園 料金(要確認)】
無料

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【日和山公園 歴史・簡単概要】
日和山公園(ひよりやまこうえん)は山口県下関市丸山町にあります。日和山公園は1922年(大正11年)2月14日に第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)即位の記念公園として整備されて開園しました。日和山公園は下関市内で最も古い公園と言われています。第123代・大正天皇は1912年(明治45年)7月29日夜に第122代・明治天皇(めいじてんのう)が崩御すると翌7月30日午前1時に即位し、1915年(大正4年)11月10日に即位礼が行われ、同年11月14日・15日に大嘗祭(だいじょうさい)が行われました。日和山公園は繁華街(市街地)からも近い丘陵地に整備され、関門海峡などを一望することができる面積約1.1ヘクタールの都市公園です。1956年(昭和31年)に高杉晋作(たかすぎしんさく)没後90年を記念して高杉晋作の陶像(備前焼)が建立されました。ちなみに高杉晋作は江戸時代後期の1839年(天保10年)に萩で生まれ、松下村塾(しょうかそんじゅく)に学び、尊王攘夷運動に参加し、幕末に奇兵隊を創設しました。第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として指揮を執ったが、1867年(慶應3年)に27歳で肺結核で亡くなりました。高杉晋作の銅像は1936年(昭和11年)に初めて建立されたが、戦時中に接収されました。日和山公園には高杉晋作(たかすぎしんさく)の陶像を囲むようにソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)・オオシマザクラ(大島桜)・ヤマザクラ(山桜)など約250本の桜の木が植えられています。なお日和山公園は日本の都市公園100選に選ばれています。
下関市(しものせきし)は山口県西部に位置しています。下関市は山口県内で県庁所在地である山口市よりも人口が多く、中国地方でも広島市・岡山市・倉敷市・福山市に次いで5番目に人口が多い都市です。下関市は長門市・美祢市・山陽小野田市、関門海峡を挟んで福岡県の北九州市に接しています。北九州市とは関門トンネルによって結ばれています。下関市は山口県最西端、かつ本州最西端にあり、西側を日本海の響灘(ひびきなだ)・南側を瀬戸内海の周防灘(すおうなだ)に面し、海上に彦島(ひこしま)・角島(つのしま)・蓋井島(ふたおいじま)・六連島(むつれじま)などが浮かんでいます。下関市は古来から陸海の交通の要衝で、室町時代に赤間関(あかまがせき・赤馬関)が大内氏の勘合船貿易の港町として栄え、江戸時代には北前船(西廻り航路)の経由地になり、長崎と並ぶ商港として西の浪華(なにわ)とも言われました。明治時代以降に九州や大陸(朝鮮半島・中国大陸)を結ぶ交通の中心地として発展しました。また下関市は遠洋漁業の基地にもなり、造船・漁具・水産加工など漁業関連の工業が発展しました。
*参考・・・日和山公園(アクセス・歴史・・・)

【日和山公園 見どころ・文化財】
日和山公園の見どころは日和山公園の桜です。日和山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【日和山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・083-231-1933(下関市公園緑地課)

【日和山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
山口桜名所・山口桜見ごろ

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