堀川戎神社(アクセス・概要・見どころ・・・)

堀川戎神社
堀川戎神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。堀川戎神社の十日戎は祭神・蛭子大神(ひるこのおおかみ)が大漁祈願だけでなく、市場における商売繁昌・産業発展の守護神として信仰されるようになった起源とも言われています。十日戎では参拝者に福娘から福笹(吉兆)が授与され、盛大に浪速神楽(なにわかぐら)が奉奏されます。
【堀川戎神社 アクセスマップ】
場所・・・大阪府大阪市北区西天満5丁目4番17号
【堀川戎神社 アクセス・交通】
*地下鉄谷町線・南森町駅(徒歩約3分)
*地下鉄堺筋線・南森町駅(徒歩約3分)
*JR東西線・大阪天満宮駅(徒歩約5分)
*JR環状線・天満駅
*阪急電鉄・天満駅
*阪神電鉄・梅田駅
*京阪電鉄中之島線・なにわ橋駅
【堀川戎神社 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【堀川戎神社 時間(要確認)】
自由
【堀川戎神社 料金(要確認)】
無料
【堀川戎神社 歴史・簡単概要】
堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)は起源が明確ではありません。堀川戎神社は社伝によると第29代・欽明天皇(539年~571年)の時代、止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神(ひるこのおおかみ)の神託により、堀江で玉を得て、それを御霊代(みたましろ)として蛭子大神を富島に祀り、瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と名付けたのが起源とも言われています。651年(白雉2年)に少彦名命(すくなびこなのみこと・淡島明神(あわしまみょうじん))、703年(大宝3年)に天太玉命(あめふとたまのみこと)を併せて祀りました。1159年(平治元年)の平治の乱の際に丹波国山家(やまが)に移り、その後南北朝時代の文和年間(1352年~1355年)に現在の場所に移り、蛭子社(えびすしゃ)・恵美須社・堀川戎社などと言われるようになりました。江戸時代中期から十日戎が年々盛大になり、南の今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)とともに大阪の十日戎を代表するようになり、えびす神社の総本社である兵庫・西宮神社(にしのみやじんじゃ)とともに三大戎に数えられるようになりました。その後1907年(明治40年)に榎木神社(えのきじんじゃ)などを合祀し、堀川神社に名称を改めました。ちなみに榎木神社は1598年(慶長3年)に掘られた天満堀川の堀止めの横に榎の大木があり、いつの頃からか木に神霊(句句廼知神(くくぬちのかみ))が鎮まっていると考えられるようになり、根元に祠(ほこら)が造られたのが起源と言われています。1945年(昭和20年)の戦災によって焼失し、1963年(昭和38年)には本殿が再建されました。なお堀川戎神社は蛭子大神(蛭児大神)・少彦名命・天太玉命を祀っています。また榎木神社(えのきじんじゃ)もあります。榎木神社は句句廼知神・宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)を祀り、本殿が地車(だんじり)の形をしていることから地車稲荷神社とも言われています。
*参考・・・堀川戎神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ・堀川戎神社(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【堀川戎神社 見どころ・文化財】
堀川戎神社の見どころは地車(だんじり)の形をしている榎木神社(地車稲荷神社)です。榎木神社は堀川戎神社と同様に1945年(昭和20年)の戦災によって焼失し、1958年(昭和33年)に再建されました。なお榎木神社は彩色欅造りです。ちなみに榎木神社のお使い(眷属)は一般的なお稲荷さまのキツネではなく、タヌキとされています。なお1月9日から10日に行われる十日戎(宵戎・本戎・残り福)も見どころです。
【堀川戎神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・06-6311-8626
【堀川戎神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月