石戸蒲ザクラ(桜見ごろ4月上旬頃~)埼玉桜名所
石戸蒲ザクラ
石戸蒲ザクラ(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。石戸蒲ザクラは埼玉の桜名所です。石戸蒲ザクラの桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。石戸蒲ザクラは東光寺境内に植えられている樹齢約800年・樹高約12メートル・根回り約7.2メートルです。石戸蒲ザクラは三春滝桜・山高神代桜・狩宿の下馬ザクラ・根尾谷の淡墨桜とともに日本五大桜に数えられています。
【石戸蒲ザクラ アクセスマップ】
場所・・・埼玉県北本市石戸宿3-119・東光寺境内
【石戸蒲ザクラ アクセス・交通】
*JR北本駅からバス北里研究所メディカルセンター病院行き・石戸蒲ザクラ入口行きの場合、石戸蒲ザクラ入口バス停(徒歩すぐ)
*東北自動車道久喜IC(車約45分)または関越自動車道東松山IC(車約30分)または首都圏中央連絡自動車道桶川北本IC(車約5分)
【石戸蒲ザクラ アクセス・駐車場】
駐車場あり
【石戸蒲ザクラ 時間(要確認)】
散策自由
【石戸蒲ザクラ 料金(要確認)】
散策無料
【石戸蒲ザクラ 歴史・簡単概要】
石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)は埼玉県北本市石戸宿にあります。石戸蒲ザクラは東光寺境内に植えられている樹齢約800年・樹高約12メートル・根回り約7.2メートルの国の天然記念物です。石戸蒲ザクラの名称は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の異母弟で、源義経(みなもとのよしつね)の異母兄である蒲冠者源範頼(かばのかじゃみなもとののりより)に由来するとも言われています。源範頼は1150年(久安6年)頃に父・源義朝(みなもとのよしとも)と母・池田宿(磐田市)の遊女の間に生まれ、平氏追討で活躍して鎌倉幕府で重きをなすが、源頼朝への謀反の疑いを掛けられて伊豆国に流されました。東光寺は源範頼が石戸鄕に配流され、1199年(正治元年)に亡くなった息女・亀御前の追福の為に創建したとも、石戸氏の娘の追福の為に創建したとも言われています。石戸蒲ザクラはエドヒガン(江戸彼岸)とヤマザクラ(山桜)の自然雑種で、和名を「カバザクラ」という世界でただ1本の品種です。石戸蒲ザクラはかつて幹が4本あったが、昭和50年代半ばに幹が1本に減ったことから根元にあった板石塔婆10基を移転させたり、土壌改良などの措置が行われました。なお石戸蒲ザクラは福島県田村郡三春町の三春滝桜・山梨県北杜市の山高神代桜・静岡県富士宮市の狩宿の下馬ザクラ・岐阜県本巣市の根尾谷の淡墨桜とともに日本五大桜に数えられています。
北本市(きたもとし)は埼玉県中東部に位置しています。北本市の名称はかつて中山道の宿場・鴻巣宿(こうのすじゅく)があったことに由来しています。北本市は桶川市・鴻巣市・川島町・吉見町に接しています。北本市は関東一都六県に広がる関東平野中央部に広がる大宮台地北部に位置し、西端を埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する標高約2,475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源とする荒川水系の本流で一級河川・荒川(あらかわ)が流れ、東縁部がかつて荒川の本流だった元荒川(もとあらかわ)の低地になっています。北本市はかつて江戸・日本橋から数えて7番目の中山道の宿場・鴻巣宿が置かれていたが、1602年(慶長7年)に鴻巣宿が市宿新田(鴻巣市)に移されると本(元)鴻巣村と言われるようになり、以後宿場町として栄えることはありませんでした。北本市は昭和初期の1928年(昭和3年)に高崎線が開通して北本駅(北本宿駅)が置かれても1950年代まで平地林に囲まれた緑の多い農村地帯だったが、1960年代から酒造・機械などの工場が進出し、大規模な住宅団地が建設されされると宅地化が進んで人口が急増しました。北本市では花卉の温室栽培が行われています。
*参考・・・石戸蒲ザクラ(アクセス・歴史・・・)
【石戸蒲ザクラ 見どころ・文化財】
石戸蒲ザクラの見どころは石戸蒲ザクラです。石戸蒲ザクラの桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【石戸蒲ザクラ 連絡先(要確認)】
電話番号・・・048-594-5530(地域経済推進課商工労政・観光担当)
【石戸蒲ザクラ 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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