延慶寺の兜梅(梅見ごろ2022早め・・・)熊本梅名所
延慶寺の兜梅
延慶寺の兜梅(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。延慶寺の兜梅は熊本の梅名所です。延慶寺の兜梅の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月上旬頃です。兜梅は樹齢推定500年とも言われる白梅です兜梅は樹高約3メートルで、枝張りが南北約6メートル・東西約11メートルになります。兜梅は竜が地をはうような姿から臥竜梅(がりゅうばい)とも言われています。
【延慶寺の兜梅 アクセスマップ】
場所・・・熊本県天草市浜崎町12-7-1
【延慶寺の兜梅 アクセス・交通】
*本渡バスセンター(バス約10分)
【延慶寺の兜梅 アクセス・駐車場】
駐車場不明
【延慶寺の兜梅 時間(要確認)】
不明
【延慶寺の兜梅 料金(要確認)】
不明
【延慶寺の兜梅 歴史・簡単概要】
延慶寺(えんけいじ)の兜梅(かぶとうめ)は熊本県天草市浜崎町にあります。延慶寺は戦国時代(室町時代後期)の1541年(天文10年)に正善が創建したとも言われています。兜梅は樹齢推定500年とも言われる白梅です。桃山時代の1589年(天正17年)に天草下島を領していた天草氏(あまくさし)は肥後国南半国の領主・小西行長(こにしゆきなが)に従わなかった為、小西行長と肥後国北半国の領主・加藤清正(かとうきよまさ)から攻撃されました。天草氏の拠点・本渡城(ほんどじょう)が落城する際、一隊の騎馬武者が敵を蹴散らしたが、その隊長の兜が兜梅の枝に引っかかって脱げ、隊長は黒髪の美しい女性と分かったこと小西・加藤連合軍が活気付き、女性は敵に討ち取られました。女性は仏木坂(ぶっきざか)で加藤清正との一騎打ちに敗れた木山弾正(きやまだんじょう)の妻・お京の方で、城中の女達で騎馬武者を編成していました。お京の方は最期に「花は咲けども実は成らせまじ」と言い残して怨念を込めたと言われています。兜梅は樹高約3メートルで、枝張りが南北約6メートル・東西約11メートルになります。兜梅は竜が地をはうような姿から臥竜梅(がりゅうばい)とも言われています。なお延慶寺の兜梅は1982年(昭和57年)8月28日に熊本県の天然記念物に指定されています。
天草市(あまくさし)は熊本県南西部(天草地方)に位置しています。天草市は熊本県内で熊本市・八代市に次いで3番目に人口が多い都市です。本土と橋で繋がっている自治体の中では最も人口が多い市町村と言われています。天草市は天草諸島の内、天草上島の上天草市以外の地域と天草下島の苓北町(れいほくまち)以外の地域、そして御所浦島(ごしょうらじま)・牧島(まきしま)などの島嶼(とうしょ)などからなり、北部は島原湾・西部は天草灘・南東部は八代海に面しています。ちなみに天草上島・天草下島は天草五橋(天門橋・大矢野橋・中の橋・前島橋・松島橋)によって九州本島と結ばれています。天草市は市域の大部分が山林で、平野部が少なく、集落が海岸線沿いに点在しています。天草市は鎌倉時代に天草氏の居城地になりました。また江戸時代前期の島原の乱の舞台にもなりました。天草市はキリシタン布教の中心地で、天草学林(コレジヨ)・正覚寺(南蛮寺跡)などの史跡が残されています。またゴシック風の崎津天主堂などもあります。天草市は柑橘類や野菜の栽培が行われ、畜産も行われています。また天草市は沿岸漁業も盛んで、タイ・ブリ・エビなどの養殖も行われています。
*参考・・・延慶寺の兜梅(アクセス・歴史・・・)
【延慶寺の兜梅 見どころ・文化財】
延慶寺の兜梅の見どころは梅です。延慶寺の兜梅の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【延慶寺の兜梅 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0969-22-3365(延慶寺)
【延慶寺の兜梅 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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