神田明神(アクセス・概要・見どころ・・・)

神田明神

神田明神

神田明神(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。神田明神は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に江戸幕府初代将軍・徳川家康の戦勝を祈祷し、神田祭が行われる9月15日に徳川方が勝利したことから縁起の良い祭礼を絶やすことなく行うようにと徳川将軍家から命じられ、山車が将軍上覧の為に江戸城内に入ることが許されて天下祭とも言われました。

【神田明神 アクセスマップ】
場所・・・東京都千代田区外神田2-16-2

【神田明神 アクセス・交通】
*JR中央線またはJR総武線・御茶ノ水駅(徒歩約5分)
*JR京浜東北線またはJR山手線・秋葉原駅(徒歩約7分)
*東京メトロ丸ノ内線・御茶ノ水駅(徒歩約5分)
*東京メトロ千代田線・新御茶ノ水駅(徒歩約5分)
*東京メトロ銀座線・末広町駅(徒歩約5分)
*東京メトロ日比谷線・秋葉原駅(徒歩約7分)

【神田明神 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【神田明神 時間(要確認)】
自由

【神田明神 料金(要確認)】
無料

【神田明神 歴史・簡単概要】
神田明神(かんだみょうじん)・神田神社(かんだじんじゃ)は社伝によると730年(天平2年)に出雲氏族で、祭神・大己貴命(おおなむちのみこと・大国主(おおくにぬし))の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村(東京都千代田区大手町将門塚周辺)に創建したのが起源とも言われています。神田明神は元々神田が三重・伊勢神宮(いせじんぐう)の神田・御田(しんでん・おみた)があったことから当初神田ノ宮と称したそうです。その後935年(承平5年)の平将門の乱(承平天慶の乱)で敗死した平将門を葬った将門塚(墳墓)周辺で天変地異が頻発したことから時宗の遊行僧である真教上人(しんきょうしょうにん・他阿(たあ))が将門の霊を慰め、1309年(延慶2年)に神田明神に将門を祀りました。戦国時代に武蔵守護代・太田道灌(おおたどうかん)や後北条氏第2代当主・北条氏綱(ほうじょううじつな)などの武将に篤く崇敬されました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に合戦に臨む江戸幕府初代将軍・徳川家康の戦勝を祈祷し、神田祭が行われる9月15日に徳川方が勝利したことから縁起の良い祭礼を絶やすことなく行うようにと徳川将軍家から命じられました。1603年(慶長8年)に江戸城の増築によって神田台に移され、1616年(元和2年)には江戸城の表鬼門を守護する現在の場所に移されて社殿が造営され、以後江戸総鎮守として篤く崇敬されるようになりました。その後明治時代に名称を神田明神から神田神社に改め、首都東京の守護神として准勅祭社・東京府社に定められました。1923年(大正12年)の関東大震災によって社殿が焼失し、1934年(昭和9年)に鉄骨鉄筋コンクリートの社殿が再建され、太平洋戦争中の空襲ではずかな損傷のみで焼失を免れました。なお神田明神は一ノ宮に大己貴命・二ノ宮に少彦名命(すくなびこなのみこと)・三ノ宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと)を祀っています。神田明神には祖霊社・籠祖神社・金刀比羅神社日本橋魚河岸水神社・三天王(江戸神社・大伝馬町八雲神社・小舟町八雲神社)・三稲荷(末廣稲荷神社・三宿稲荷神社・浦安稲荷神社)などの摂末社もあります。
*参考・・・神田明神(アクセス・歴史・・・)ホームページ神田明神(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【神田明神 見どころ・文化財】
神田明神の見どころは国の登録有形文化財である本殿・幣殿・拝殿・神饌所・瑞垣・宝庫・西門・東門です。ちなみに本殿は総朱漆塗で、鉄骨鉄筋コンクリートの権現造です。本殿は近代神社建築・都市建築を代表する建築家である伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一によって設計されました。なお1975年(昭和50年)に第124代・昭和天皇即位50年の記念事業として再建された隨神門も見どころです。隨神門は二層建ての総檜・入母屋造りで、外側に四神(朱雀・白虎・青竜・玄武)、内側に稲葉の白兎など大黒様の神話をモチーフにした彫刻が飾られています。

【神田明神 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3254-0753

【神田明神 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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