城崎温泉(桜見ごろ4月上旬頃~)兵庫桜名所
城崎温泉
城崎温泉(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。城崎温泉は兵庫の桜名所です。城崎温泉の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。城崎温泉には温泉街の中央を流れる大谿川沿いにソメイヨシノ(染井吉野)の桜並木が続き、ボンボリが灯されたり、温泉まつりが行われたりします。(要確認)大谿川下流には城崎のシンボル・柳も並んでいます。
【城崎温泉 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県豊岡市城崎町湯島
【城崎温泉 アクセス・交通】
*JR城崎温泉駅(徒歩約15分)
*北近畿豊岡自動車道但馬空港IC(車約30分)
【城崎温泉 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【城崎温泉 時間(要確認)】
有料施設あり
【城崎温泉 料金(要確認)】
有料施設あり
【城崎温泉 歴史・簡単概要】
城崎温泉(きのさきおんせん)は兵庫県豊岡市城崎町湯島にあります。城崎温泉は奈良時代前期の717年(養老元年)に城崎を訪れた僧・道智上人(どうちしょうにん)が難病の人々を救う為、鎮守・四所明神(ししょみょうじん)の神託によって千日間の修行を行い、720年(養老4年)に温泉(まんだら湯)が湧き出したとも言われています。その後道智上人は西国三十三所の第8番札所である大和(奈良)・長谷寺(はせでら)に祀られている観音さまと同木同作の観音像を得て、温泉寺を創建したとも言われています。ちなみに城崎温泉には629年(舒明天皇元年)にコウノトリが傷を癒していたことから発見されたとの開湯伝説も残されています。城崎温泉は江戸時代の温泉番付で、西の大関(最高位)に格付けされた有馬温泉に次ぎ、西の関脇(最高位は大関)に格付けされました。明治時代以後に「城の崎にて」を書いた志賀直哉(しがなおや)・有島武郎(ありしまたけお)などの文人墨客に愛されました。城崎温泉には一の湯・御所の湯・まんだら湯・さとの湯・柳湯・地蔵湯・鴻の湯の7つ外湯があり、外湯めぐりができます。一の湯は江戸時代に新湯(あらゆ)と言われていたが、江戸時代中期に古方派(こほうは)の漢方医・香川修徳(かがわしゅうとく)が泉質を絶賛したことから「海内一(日本一)」の意味を込めて一の湯に改名しました。
豊岡市(とよおかし)は兵庫県北部(但馬地域)に位置しています。豊岡市は兵庫県の養父市・朝来市・香美町、京都府の京丹後市・福知山市・与謝野町に接しています。豊岡市は但馬地域最大の盆地である豊岡盆地に位置し、一級河川・円山川(まるやまがわ)やその支流である出石川(いずしがわ)・竹野川(たけのがわ)などが流れ、北部を日本海に面しています。豊岡市は日本海側気候に属する豪雪地帯で、冬に雪・夏に雨が多くて晴天の日は少ない地域です。豊岡市は古代に日高に但馬国の国府・国分寺が置かれました。豊岡市は養老年間(717年~724年)に道智上人(どうちしょうにん)が千日の修行を行うと温泉が湧出し、城崎温泉の始まりとなったとも言われています。ちなみに城崎温泉は江戸時代の温泉番付に西の関脇(最高位大関)にランクされ、その後西日本屈指の温泉街に発展しました。豊岡市は安土桃山時代の1580年(天正8年)に関白・豊臣秀吉が但馬を平定すると家臣・宮部継潤(みやべけいじゅん)が豊岡城を亀山に築城するとその城下町になり、江戸時代に豊岡藩の城下町として栄えました。豊岡市は1925年(大正14年)の北但馬地震(きたたじまじしん)で市街地の70パーセントを焼失し、その後区画整理が行われ、太平洋戦争後に兵庫県北部の行政・経済・文化の中心地になりました。
*参考・・・城崎温泉(アクセス・歴史・・・)
【城崎温泉 見どころ・文化財】
城崎温泉の見どころは城崎温泉の桜です。城崎温泉の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【城崎温泉 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0796-21-9065(城崎振興局地域振興課)
【城崎温泉 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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