史跡小牧山(桜見ごろ3月下旬頃~)愛知桜名所

史跡小牧山
史跡小牧山(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。史跡小牧山は愛知の桜名所です。史跡小牧山の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。史跡小牧山にはメイヨシノ(染井吉野)・カンザン(関山)・シダレザクラ(枝垂桜)・ウコン(鬱金)など約10種・約1,200本の桜の木が植えられ、小牧山さくらまつりが行われたり、ライトアップが行われたりします。(要確認)
【史跡小牧山 アクセスマップ】
場所・・・愛知県小牧市堀の内1-1
【史跡小牧山 アクセス・交通】
*名鉄小牧線小牧駅から名鉄バス・こまき巡回バスの場合、小牧市役所前バス停
*名鉄小牧線小牧駅(徒歩約15分)
*東名・名神高速道路小牧IC(車約5分)または名古屋高速道路小牧南出口(車約8分)
【史跡小牧山 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【史跡小牧山 時間(要確認)】
自由
【史跡小牧山 料金(要確認)】
無料
【史跡小牧山 歴史・簡単概要】
史跡小牧山(しせきこまきやま)は愛知県小牧市堀の内にあります。史跡小牧山は標高約86メートルで、かつて織田信長の居城である小牧山城(こまきやまじょう)がありました。小牧山にはかつて間々観音(ままかんのん)・間々乳観音(ままちちかんのん)・おっぱい寺と言われる龍音寺(りゅうおんじ)が建立されていたが、織田信長の命によって移され、戦国時代の1563年(永禄6年)に織田信長が丹羽長秀(にわながひで)を奉行として小牧山城を小牧山山頂に築城して清須城(きよすじょう)から移り、城下町を整備しました。1567年(永禄)に織田信長が道三流斎藤家3代・斎藤龍興(さいとうたつおき)を攻略して岐阜・稲葉山城(いなばやまじょう)に移ると小牧山城は廃城になりました。1584年(天正12年)の小牧・長久手の合戦の際に関白・豊臣秀吉軍に対抗して、織田信雄(おだのぶかつ)・徳川家康(とくがわいえやす)連合軍が小牧山城跡を改修し陣城を築いたが、和睦が成立ししたことから廃城になりました。江戸時代に将軍家開祖の徳川家康公「御勝利御開運の御陣跡」として一般の入山が禁止されました。1927年(昭和2年)に尾張徳川家第19代当主・徳川義親(とくがわよしちか)から国に寄付されて国の史跡に指定され、1968年(昭和43年)に小牧市歴史館(小牧城)が開館しました。なお史跡小牧山は続日本100名城(149番)に選定されています。
小牧市(こまきし)は愛知県北西部に位置しています。小牧市は春日井市・犬山市・江南市・岩倉市・北名古屋市・豊山町・大口町に接しています。小牧市は岐阜県南西部から愛知県北西部などに広がる濃尾平野のほぼ中央に位置し、北部・東部に丘陵地があり、中部・西部が平坦形が広がり、合瀬川・巾下川・八田川などの河川や愛知用水・新木津用水などが流れています。小牧市は旧石器時代から弥生時代の遺跡や古墳時代の古墳があり、古くから人が住んでいたとも言われています。小牧市は1563年(永禄6年)に織田信長が小牧山に小牧山城を築城するとその城下町になり、1584年(天正12年)に関白・豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が戦った小牧・長久手の合戦の舞台になりました。小牧市は江戸時代に中山道に通じる木曽街道の宿駅・市場町として栄えたが、明治時代に鉄道路線からはずれたが、その後名神高速・東名高速・中央高速道路などが交差する交通の要衝になり、コンテナ基地や倉庫群が整備されて遠距離輸送基地になりました。
*参考・・・史跡小牧山(アクセス・歴史・・・)
【史跡小牧山 見どころ・文化財】
史跡小牧山の見どころは史跡小牧山の桜です。史跡小牧山の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。桜のビュースポットは桜の馬場付近です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【史跡小牧山 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0568-39-6123(小牧市観光協会)
【史跡小牧山 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●愛知桜名所・愛知桜見ごろ