弘法山古墳(桜見ごろ4月上旬頃~)長野桜名所

弘法山古墳

弘法山古墳

弘法山古墳(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。弘法山古墳は長野の桜名所です。弘法山古墳の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。弘法山古墳にはソメイヨシノ(染井吉野)・オオヤマザクラ(大山桜)など約4,000本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)弘法山古墳は国の史跡に指定されています。

【弘法山古墳 アクセスマップ】
場所・・・長野県松本市並柳2-1000

【弘法山古墳 アクセス・交通】
*JR松本駅・松本バスターミナルからアルピコ交通・並柳団地線の場合、弘法山入口バス停(徒歩約10分)

【弘法山古墳 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【弘法山古墳 時間(要確認)】
自由

【弘法山古墳 料金(要確認)】
無料

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【弘法山古墳 歴史・簡単概要】
弘法山古墳(こうぼうやまこふん)は長野県松本市並柳にあります。弘法山古墳は松本市南西部の中山丘陵の先端に位置する標高約650メートルの弘法山にあります。弘法山古墳は3世紀末(古墳時代初期)から4世紀中葉頃に築造された前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)です。弘法山古墳は東日本最古級で、西日本でも古墳の出現期・発生期とほぼ同時期に築造されたと推定されています。弘法山古墳はかつて地元で弘法山と言われ、その先端部に古墳があることは古くから知られていたが、太平洋戦争末期に墳丘部に高射機関銃が据えられました。その後1974年(昭和49年)に松商学園(まつしょうがくえん)が学校用地として買収し、発掘調査を開始すると円墳ではなく、松本平(まつもとだいら・松本盆地(まつもとぼんち))に存在しないとされた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の可能性が浮上し、協議の末に松本市教育委員会が調査を継続し、前方後方墳であることが判明しました。弘法山古墳は麓から頂上までの高さ約60メートルの丘陵突端に前方部を北側に向けて築造されています。弘法山古墳は全長約66メートルで、前方部が長さ約25メートル・幅約22メートル・高さ約3.5メートル、後方部が長さ約41メートル・幅約47メートル・高さ約7.15メートルになります。ちなみに弘法山古墳からは松本市街や北アルプスなどを一望できます。なお弘法山古墳は国の史跡に指定されています。また出土品(考古資料)は長野県の文化財に指定され、松本市立考古博物館に保管されています。
松本市(まつもとし)は長野県中西部(中信地方)に位置しています。松本市は長野県内で最も面積が広い都市です。松本市は長野県の塩尻市・安曇野市・大町市・岡谷市・上田市・下諏訪町・山形村・朝日村・筑北村・長和町・青木村・木曽町・木祖村、岐阜県の高山市に接しています。松本市は長野県中西部で、信濃川水系の一級河川・犀川(さいがわ)流域にある松本盆地に位置し、東側に美ヶ原(うつくしがはら)などの2,000メート級の筑摩山地(ちくまさんち)、西側に北アルプスなどの3,000メート級の飛騨山脈(ひださんみゃく)があります。西部には上高地・乗鞍高原の玄関口である波田地区や北アルプスの麓を流れる清流・梓川(あずさがわ・犀川)周辺には梓川地区があります。ただ松本市の市域は5,000万年前は海底にあったそうです。松本市は奈良時代末期に信濃国の国府が置かれ、鎌倉時代に信濃国守護館が置かれました。その後1590年(天正18年)に松本藩の藩祖・石川数正(いしかわかずまさ)が入封すると松本城(深志城(ふかしじょう)・烏城(からすじょう))の天守(国宝)が造営され、城下町が整備されました。松本市には上高地・涸沢・野麦峠・乗鞍高原・美ヶ原高原・美鈴湖などの景勝地があります。
*参考・・・弘法山古墳(アクセス・歴史・・・)

【弘法山古墳 見どころ・文化財】
弘法山古墳の見どころは弘法山古墳の桜です。弘法山古墳の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【弘法山古墳 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0263-34-3000(松本市観光温泉課)

【弘法山古墳 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
長野桜名所・長野桜見ごろ

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