旧閑谷学校(梅見ごろ2月上旬~)岡山梅名所
旧閑谷学校
旧閑谷学校(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。旧閑谷学校は岡山の梅名所です。旧閑谷学校の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月下旬頃です。旧閑谷学校には学校の正門・鶴鳴門前の梅園や資料館周辺に紅梅・白梅など約20本の梅の木が植えられています。梅の見ごろに閑谷の早春を愛でる会が催されています。(要確認)
【旧閑谷学校 アクセスマップ】
場所・・・岡山県備前市閑谷784
【旧閑谷学校 アクセス・交通】
*JR吉永駅(車約8分)
*JR備前片上駅(車約15分)
*山陽自動車道備前IC(車約15分)
【旧閑谷学校 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【旧閑谷学校 時間(要確認)】
9:00~17:00
【旧閑谷学校 料金(要確認)】
大人400円、65歳以上200円、小中学生100円
【旧閑谷学校 歴史・簡単概要】
旧閑谷学校(きゅうしずたにがっこう)は岡山県備前市閑谷にあります。閑谷学校は1670年(寛文10年)に備前岡山藩初代藩主で、池田宗家3代・池田光政(いけだみつまさ)が1669年(寛文9年)に開設した藩士の為の日本初の藩校・岡山学校に続き、庶民の為の公立学校として開設しました。閑谷学校は現存する日本最古の庶民学校で、現存する世界最古の庶民学校とも言われています。1651年(慶安4年)に陽明学者・熊沢蕃山(くまざわばんざん)が閑谷学校の前身となる庶民教育の場・花園会の会約を起草し、1666年(寛文6年)に光政が和気郡木谷村付近を視察しました。光政は閑谷を始めて訪ねた際に「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛し、地方のリーダーを育成する学校の設立を決め、1674年(延宝2年)に学房・飲室・講堂・聖堂などが完成しました。1682年(天和2年)に光政が亡くなり、1701年(元禄14年)に岡山藩の産業・生活の基盤造りに尽力した岡山藩主の補佐役・津田永忠(つだながただ)が光政の遺言と閑谷学校の永続を願う藩主の意を受け、約30年の歳月を掛けて現在とほぼ同様の外観を持つ堅固で壮麗な学校を完成させました。1950年(昭和25年)に講堂・聖廟・神社など25棟が国の重要文化財に指定され、1953年(昭和28年)に講堂が国宝に指定されました。旧閑谷学校には学校の正門・鶴鳴門(かくめいもん)前の梅園や資料館周辺に紅梅・白梅など約20本の梅の木が植えられています。旧閑谷学校では春に梅とともに椿も楽しめます。旧閑谷学校では梅の見ごろに閑谷の早春を愛でる会が催され、普段は入れない国宝の講堂が一般公開され、資料館で春季特別展が行われています。(要確認)
備前市(びぜんし)は岡山県南東部に位置しています。備前市は岡山県の岡山市・瀬戸内市・赤磐市・美作市・和気町、兵庫県の赤穂市・上郡町・佐用町に接しています。また海上を隔てて、兵庫県の姫路市、香川県の小豆島町・土庄町にも接しています。備前市は北部が旭川(あさひがわ)・高梁川(たかはしがわ)とともに岡山三大河川に数えられる吉井川(よしいがわ)の支流である金剛川(こんごうがわ)・八塔寺川(はっとうじがわ)流域に広がり、南部は片上湾(かたかみわん)・播磨灘(はりまなだ)に面し、海上に日生諸島(ひなせしょとう)が浮かんでいます。備前市は丘陵地帯が多く、市域の約8割が山林が占めています。備前市は鉄分を含んだ良質の粘土を産し、平安時代末期に西部の熊山一帯で須恵器(すえき)の窯が築かれ、室町時代に伊部に多くの窯が築かれ、伊部焼(備前焼)の日用雑器が生産されるようになりました。備前市では中世以降に中心市街地の片上が山陽道に沿う宿駅,瀬戸内海航路の港町として発展しました。備前市では備前焼だけでなく、耐火煉瓦なども生産され、基幹産業になっています。また備前市では魚魚も盛んで、日生諸島の「日生」が魚介のブランドになっています。
*参考・・・旧閑谷学校(アクセス・歴史・・・)
【旧閑谷学校 見どころ・文化財】
旧閑谷学校の見どころは旧閑谷学校の梅です。旧閑谷学校の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月下旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【旧閑谷学校 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0869-67-9900(特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会)
【旧閑谷学校 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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