韮山反射炉(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

韮山反射炉

韮山反射炉

韮山反射炉(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。韮山反射炉などの反射炉は金属融解炉の一種です。反射炉は熱を発生させる燃焼室と精錬を行う溶解室が別々になっており、燃焼室で燃料を焚いて発生した熱を溶解室の天井・壁などに反射させ、溶解室の中の鉄などの金属を溶解させて精錬します。高い煙突には大量の空気を送り込む役割があります。

【韮山反射炉 アクセスマップ】
場所・・・静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268-1

【韮山反射炉 アクセス・交通】
*伊豆箱根鉄道駿豆線・伊豆長岡駅(徒歩約25分)

【韮山反射炉 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【韮山反射炉 時間(要確認)】
9:00~17:00(4/1~9/30)
9:00~16:30(10/1~3/31)
毎月第3水曜日は休日です。

【韮山反射炉 料金(要確認)】
個人
大人500円、小・中学生50円

団体(20名以上)
大人450円

【韮山反射炉 歴史・簡単概要】
韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)は静岡県伊豆の国市にある反射炉跡で、日本で唯一現存する実用反射炉です。ちなみに江戸時代末期に建設された反射炉の内、現在残されているのは韮山反射炉と山口県萩市・萩反射炉(はぎはんしゃろ)だけです。韮山反射炉は1857年(安政4年)に完成しました。幕臣で、伊豆韮山代官・江川英龍(えがわひでたつ)はアヘン戦争(1840年6月~1842年8月)での清(中国)の大敗によって海防強化の必要性を感じ、鉄砲を鋳造する反射炉の建設を建議しました。その後1853年(嘉永6年)のペリーの黒船来航により、江戸湾海防の実務責任者であった江川英龍は江戸内湾での台場築造とともに江戸幕府直営の反射炉の建設を命じられました。英龍はペリー来航以前から反射炉の研究を続けていたそうです。1853年(嘉永6年)に伊豆下田で建設が始まったが、翌1854年(安政元年)にアメリカのマシュー・ペリー艦隊の水兵が下田の反射炉敷地内に侵入したことから韮山代官所に近い伊豆韮山に変更されました。その後1855年(安政2年)に英龍が亡くなったが、その三男・江川英敏(えがわひでとし)が引き継ぎ、1857年(安政4年)に完成した。ちなみに韮山反射炉はヒュゲニン(Ulrich Huguenin)著の蘭書「ライク王立鉄大砲鋳造所における鋳造法(Het Gietwezen in’s Rijks Ijzer – geschutgieterij te Luik)」を基に佐賀藩で築地反射炉・多布施反射炉の建設に携わった技師である田代孫三郎(田代通英)・杉谷雍助などの技術協力によって建設されました。その後1857年(安政4年)から鋳造が開始され、お台場の砲台など鉄製18ポンドカノン砲・青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造され、1864年(元治元年)に幕府直営反射炉としての役割を終えました。ちなみに1868年(明治元年)には幕府直営から江川家私営になったそうです。
韮山反射炉は2015年(平成27年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)のひとつに登録されました。
*参考・・・韮山反射炉(アクセス・歴史・・・)韮山反射炉(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【韮山反射炉 見どころ・文化財】
韮山反射炉の見どころは炉体と煙突が完全な形で現存している世界唯一の反射炉とも言われる韮山反射炉そのものです。韮山反射炉は南北それぞれ2炉、合計4つの炉がL字型に配置され、炉体と煙突を合わせた高さが約15.7メートルです。ちなみに韮山反射炉は度々補修が行われ、鉄枠は補強用に付けられました。

【韮山反射炉 連絡先(要確認)】
電話番号・・・055-949-3450

【韮山反射炉 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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