大衡城跡公園(桜見ごろ4月中旬頃~)宮城桜名所
大衡城跡公園
大衡城跡公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大衡城跡公園は宮城の桜名所です。大衡城跡公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。大衡城跡公園にはソメイヨシノ(染井吉野)などの桜の木が植えられています。大衡城跡公園からは船形山や仙台平野を見渡すことができ、絶景のスポットになっています。大衡城跡公園に隣接して大衡城青少年交流館があります。
【大衡城跡公園 アクセスマップ】
場所・・・宮城県黒川郡大衡村大衡字塩浪4-2
【大衡城跡公園 アクセス・交通】
*東北自動車道大衡IC(車約10分)
*JR仙台駅からバスの場合、大衡村役場前バス停
【大衡城跡公園 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【大衡城跡公園 時間(要確認)】
自由
【大衡城跡公園 料金(要確認)】
無料
【大衡城跡公園 歴史・簡単概要】
大衡城跡公園(おおひらじょうせきこうえん)は宮城県黒川郡大衡村大衡字塩浪にあります。大衡城跡公園は大衡城跡に整備された公園です。大衡城は戦国時代(室町時代後期)の1544年(天文13年)に黒川氏開祖で、下草城城主・黒川景氏(くろかわかげうじ)の次男で、治部大輔(じぶたいふ)・大衡宗氏(おおひらむねうじ)が築城し、越路舘とも、塩浪館とも言われていました。大衡城は黒川郡北方の統治を行っていたが、安土桃山時代の1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉による奥州仕置(おうしゅうしおき)により、大衡宗氏の子・大衡氏胤が所領を没収されて滅亡し、その後伊達氏第17代当主・伊達政宗(だてまさむね)の所領になり、大衡城跡は廃城になりました。大衡城は標高約40メートルの丘陵にあり、本丸が東西約40メートル・南北約100メートルで、本丸の裏に二ノ丸・三ノ丸があったそうです。大衡城跡公園には大手門・登城路などがあります。大衡城跡公園からは船形山や仙台平野を見渡すことができ、絶景のスポットになっています。大衡城跡公園に隣接して大衡城青少年交流館があり、農具などを展示した民俗資料等展示室が設けられ、子ども会の研修や各種団体の会議などに利用することができます。
大衡村(おおひらむら)は宮城県中部に位置しています。大衡村は宮城県内で唯一の村です。大衡村は大和町(たいわちょう)・大郷町(おおさとちょう)とともに黒川郡(くろかわぐん)を構成し、大崎市・大和町・大郷町・色麻町に接しています。大衡村は宮城県と山形県の境に位置する船形連峰に属する標高約1,500メートルの船形山(ふながたやま)を源とする一級河川・鳴瀬川(なるせがわ)と船形連峰に属する標高約1,253メートルの北泉ヶ岳(きたいずみがたけ)を源とする鳴瀬川の支流で一級河川・吉田川(よしだがわ)に挟まれたなだらかな丘陵地に位置し、善川・埋川・鶴田川などが流れています。大衡村には旧石器時代・縄文時代などの遺跡があり、縄文時代中期に集落がありました。大衡村は明治時代に村域約2割を占める北西部の王城寺原(おうじょうじはら)が陸軍の演習場になり、太平洋戦争後にアメリカ軍が接収し、その後一部が開拓地になったが、多くが陸上自衛隊の演習場になっています。大衡村ではかつて東部の丘陵で亜炭を産出していたが、1950年代半ばから衰退し、1972年(昭和47年)に閉山になりました。大衡村では稲作・酪農・リンゴの生産・花卉の栽培が盛んです。
*参考・・・大衡城跡公園(アクセス・歴史・・・)・大衡城跡公園(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【大衡城跡公園 見どころ・文化財】
大衡城跡公園の見どころは大衡城跡公園の桜です。大衡城跡公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【大衡城跡公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・022-341-8515(大衡村都市建設課)
【大衡城跡公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●宮城桜名所・宮城桜見ごろ

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