三戸城跡城山公園(桜見ごろ4月下旬頃~)青森桜名所
三戸城跡城山公園
三戸城跡城山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。三戸城跡城山公園は青森の桜名所です。三戸城跡城山公園の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。三戸城跡城山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)・ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)など約1,600本の桜の木が植えられ、さんのへ春まつり・ライトアップが行われています。
【三戸城跡城山公園 アクセスマップ】
場所・・・青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下地内
【三戸城跡城山公園 アクセス・交通】
*青い森鉄道三戸駅から南部バス・三戸営業所行きの場合、三戸町役場前バス停(徒歩約20分)
*八戸自動車道一戸IC(車約40分)
【三戸城跡城山公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【三戸城跡城山公園 時間(要確認)】
歴史民俗資料館
9:00~16:00
月曜日・祝日の翌日などが休館日です。
【三戸城跡城山公園 料金(要確認)】
歴史民俗資料館
一般210円、大学生・高校生110円、小学生・中学生60円
【三戸城跡城山公園 歴史・簡単概要】
三戸城跡城山公園(さんのへじょうあとしろやまこうえん)は青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下にあります。三戸城跡城山公園は三戸城跡に整備された公園です。三戸城(留ヶ崎城(とめがさき))は馬淵川(まべちがわ)と熊原川(くまはらがわ)の浸食によって形成された河岸段丘上に築城されていた連郭式山城です。三戸城は伝承によると南部氏24代当主・南部晴政(なんぶはるまさ)の時代である戦国時代(室町時代後期)の1539年(天文8年)6月に聖寿寺館(しょうじゅじだて・本三戸城(もとさんのへじょう))が家臣・赤沼備中の放火によって焼失したことからこの地に築城されたとも言われています。1590年(天正18年)の関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原征伐の際、南部家中興の祖で、南部氏第26代当主・南部信直(なんぶのぶなお)が参陣し、所領を安堵されたが、領内の城館の破棄を命ぜられ、三戸城が南部氏の居城になったと言われています。1591年(天正19年)の九戸一揆平定後に改修され、本丸に三層三階の御三階櫓が造営されたとも言われています。江戸時代前期の1634年(寛永10年)に盛岡城が南部氏の居城になると三戸城は御古城と言われて城代が置かれ、貞享年間(1684年~1688年)に城代が廃されて三戸代官が置かれました。三戸城跡城山公園は1956年(昭和31年)10月に名久井岳県立自然公園に指定されました。三戸城跡城山公園には表門・搦手門・代官所門・石垣・堀跡などが残されています。また歴史民俗資料館・温故館などもあります。
三戸町(さんのへまち)は青森県南東部に位置しています。三戸町は五戸町(ごのへまち)・田子町(たっこまち)・南部町(なんぶちょう)・階上町(はしかみちょう)・新郷村(しんごうむら)とともに三戸郡(さんのへぐん)を構成し、青森県の南部町・田子町・新郷村、秋田県の鹿角市、岩手県の二戸市に接しています。三戸町は青森県の夏泊半島(なつどまりはんとう)から福島県・栃木県の県境の帝釈山地(たいしゃくさんみゃく)に至る奥羽山脈(おううさんみゃく)に続く丘陵地に位置し、北西部に山地が広がり、熊原川(くまはらがわ)・猿辺川(さるべがわ)が東流し、北東部で馬淵川(まべちがわ)に合流しています。三戸町は太平洋側気候で、冬季に積雪量が多くありません。三戸町には縄文時代の遺跡が多くあり、古くから人が住んでいたとも言われています。三戸町は鎌倉時代に南部氏の始祖・南部光行(なんぶみつゆき)が奥州合戦の功によって糠部五郡(ぬかのぶごぐん)を拝領してから南部氏の領地になりました。その後戦国時代に三戸城が築城されるとその城下町として発展し、江戸時代前期に本城が盛岡城に移されると城代・代官が置かれました。三戸町では谷底平野で稲作、段丘や傾斜地でリンゴの栽培、西部の丘陵地で養鶏・養豚などが行われています。
*参考・・・三戸城跡城山公園(アクセス・歴史・・・)
【三戸城跡城山公園 見どころ・文化財】
三戸城跡城山公園の見どころは三戸城跡城山公園の桜です。三戸城跡城山公園の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【三戸城跡城山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0179-22-0777(三戸町観光協会)
【三戸城跡城山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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