正暦寺(紅葉見ごろ11月中旬頃~)奈良紅葉名所

正暦寺

正暦寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。正暦寺は奈良の紅葉名所です。正暦寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~12月上旬頃です。正暦寺が建立されている地は古くから錦の里とも言われた紅葉名所だったそうです。ちなみに正暦寺には山内に3,000本を超えるカエデ(楓)や赤い実をつける1,000株以上のナンテン(南天)が植えられているそうです。

【正暦寺 アクセスマップ】
場所・・・奈良県奈良市菩提山町157

【正暦寺 アクセス・交通】
*JR帯解駅(徒歩1時間30分)

*西名阪国道天理IC(車約20分)

【正暦寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【正暦寺 時間(要確認)】
9:00~17:00(3月~11月)
9:00~16:00(12月~2月)

【正暦寺 料金(要確認)】
大人500円、小学生200円

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【正暦寺 歴史・簡単概要】
正暦寺(しょうりゃくじ)は奈良県奈良市菩提山町にあります。正暦寺は平安時代中期の992年(正暦3年)に太政大臣・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の子で、真言宗の僧・兼俊僧正(けんしゅんそうじょう)が第66代・一条天皇の勅命によって創建しました。正暦寺は山号を菩提山、院号を龍華樹院と号し、勅願寺として堂塔伽藍を中心に86坊の塔頭(たっちゅう)が渓流を挟んで立ち並んでいました。平安時代末期の1180年(治承4年)に平氏棟梁・平清盛(たいらのきよもり)の五男・平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ち(なんとやきうち)で全山全焼し、寺領を没収されて一時廃墟と化しました。その後鎌倉時代の1218年(建保6年)に関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子で、興福寺(こうふくじ)の塔頭・大乗院(だいじょういん)院主・信円僧正(しんえんそうじょう)が法相宗の学問所として再興して昔に勝る隆盛を極めました。建暦年間(1211年~1214年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子・蓮光法師が草庵を結び、浄土門の法灯を掲げたことがありました。戦国時代の1506年(永正3年)に室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)の家臣・赤沢朝経(あかざわともつね)によって焼き討ちされ、江戸時代前期の1629年(寛永6年)に堂塔伽藍が焼失し、現在本堂・鐘楼と1681年(延宝9年)に建立された福寿院客殿(重要文化財)だけが残されています。正暦寺にはカエデ・ケヤキ・オウバク・ナンテンなどが分布しています。
奈良市(ならし)は奈良県北部に位置しています。奈良市は奈良県の県庁所在地です。奈良市は奈良県の生駒市・大和郡山市・天理市・桜井市・宇陀市・山添村、京都府の木津川市・笠置町・精華町・南山城村、三重県の伊賀市に接しています。奈良市は奈良県北西部にある奈良盆地北端に位置し、東側に大和高原(やまとこうげん)に属する笠置山地(かさぎさんち)があり、西側に矢田丘陵(やたきゅうりょう)があり、佐保川(さほがわ)・富雄川(とみおがわ)・大和川(やまとがわ)・木津川(きづがわ)などが流れています。奈良市は710年(和銅3年)に藤原京(ふじわらきょう)からの遷都によって平城京(へいじょうきょう)が置かれ、784年(延暦3年)に長岡京(ながおかきょう)に遷都するまで貴族・仏教文化である天平文化が花開きました。その後東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・春日大社(かすがたいしゃ)などの門前町として栄えました。なお1998年(平成10年)に古都奈良の文化財として、東大寺・興福寺・春日大社・元興寺(がんごうじ)・薬師寺(やくしじ)・唐招提寺(とうしょうだいじ)・春日山原始林・平城宮跡がユネスコの世界文化遺産に登録されました。
*参考・・・正暦寺(アクセス・歴史・・・)

【正暦寺 見どころ・文化財】
正暦寺の見どころは正暦寺の紅葉です。正暦寺の紅葉は例年11月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにカエデ・ケヤキ・オウバク・ナンテンなどが色付きます。紅葉のビュースポットは福寿院です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【正暦寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-62-9569(正暦寺)

【正暦寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
奈良紅葉名所・奈良紅葉見ごろ

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