雨引観音(桜見ごろ4月上旬頃~)茨城桜名所
雨引観音・楽法寺
雨引観音・楽法寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。雨引観音は茨城の桜名所です。雨引観音の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。雨引観音にはカワヅザクラ(河津桜)・ソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・エドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)など約3,000本の桜の木が植えられ、桜祭・ライトアップが行われています。(要確認)
【雨引観音・楽法寺 アクセスマップ】
場所・・・茨城県桜川市本木1
【雨引観音・楽法寺 アクセス・交通】
*JR岩瀬駅(車約15分)
*北関東自動車道桜川筑西IC(車約15分)
【雨引観音・楽法寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【雨引観音・楽法寺 時間(要確認)】
自由
【雨引観音・楽法寺 料金(要確認)】
無料
【雨引観音・楽法寺 歴史・簡単概要】
雨引観音(あまびきかんのん)・楽法寺(らくほうじ)は茨城県桜川市本木にあります。雨引観音は古墳時代の587年(用明天皇2年)に中国・梁(りょう)からの渡来人・法輪独守居士(ほうりんどくしゅこじ)が創建したとも言われています。飛鳥時代前期に第33代・推古天皇(すいこてんのう)が病気になった際、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)に病気平癒を祈願し、平癒したことから勅願寺(ちょくがんじ)に定められました。奈良時代の730年(天平2年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と光明皇后(こうみょうこうごう)が「法華経(ほけきょう)」を書写して安産を祈念し、功験(こうけん)があらたかだったことから安産祈願の根本道場として勅願寺に定められ、三重塔を建立しました。平安時代前期の821年(弘仁12年)の大旱魃の際、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が写経を行なって降雨を祈願し、大雨で潤って五穀が実ったことから勅命により、山号を雨引山(あまびきさん)と定め、勅額を賜りました。鎌倉時代中期の1254年(建長6年)に鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)が再興し、南北朝時代の建武年間(1334~1338年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が再興しました。雨引観音は厄除・延命・安産・子育の霊験あらたかな延命観世音菩薩(重要文化財)を本尊として安置しています。雨引観音には約3,000本の桜の木が植えられ、「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」と俚謡に詠われています。
桜川市(さくらがわし)は茨城県西部に位置しています。桜川市の名称は桜川市北部岩瀬地区の鍬柄峠(すきがらとうげ)付近にある鏡ヶ池(かがみがいけ)を源とし、霞ケ浦(かすみがうら)に注ぐ桜川に由来しています。桜川市は茨城県の笠間市・石岡市・つくば市・筑西市、栃木県の真岡市・益子町・茂木町に接しています。桜川市は北側の鶏足山地(とりあしさんち)と南側の筑波山(つくばさん)の間に開けた盆地に位置し、鏡ヶ池を源とする桜川が市域を貫流しています。ちなみに山地からは花崗岩(かこうがん)が採掘され、石材として出荷されたり、石灯籠・墓石などに加工されて出荷されたりしています。桜川市では587年(用明天皇2年)に楽法寺(らくほうじ)が創建され、雨乞いに霊験があったことから雨引観音(あまびきかんのん)とも言われています。桜川市では平安時代後期の1172年(承安2年)に真壁城が築城されると真壁氏の本拠地になりました。ただ江戸時代前期に浅野氏が笠間城を拠点とすると真壁城が廃城になり、町屋村に笠間藩の陣屋が置かれました。桜川市は農業が盛んで、米・トマト・キュウリ・カボチャ・ユズなどが栽培されています。
*参考・・・雨引観音・楽法寺(アクセス・歴史・・・)
【雨引観音・楽法寺 見どころ・文化財】
雨引観音の見どころは雨引観音の桜です。愛宕山の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【雨引観音・楽法寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0296-58-5009(雨引観音)
【雨引観音・楽法寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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