円興寺(紅葉見ごろ11月中旬頃)岐阜紅葉名所
円興寺
円興寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。円興寺は岐阜の紅葉名所です。円興寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。円興寺には鎌倉幕府初代将軍である源頼朝・源義経の異母兄である源朝長の墓、頼朝・義経の父である源義朝や頼朝・義経の異母兄である源義平の供養塔などがあります。また円興寺には源朝長の位牌・遺品もあるそうです。
【円興寺 アクセスマップ】
場所・・・岐阜県大垣市青墓町5丁目880
【円興寺 アクセス・交通】
*JR美濃赤坂駅(徒歩約45分)
*東海環状道大垣西IC(車約15分)または名神道大垣IC(車約45分)
【円興寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【円興寺 時間(要確認)】
確認中
【円興寺 料金(要確認)】
確認中
【円興寺 歴史・簡単概要】
円興寺(えんこうじ)は岐阜県大垣市青墓町にあります。円興寺は寺伝によると奈良時代末期の790年(延暦9年)に天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が大炊氏(おおいし)に懇願されて開山したのが起源とも言われています。円興寺はかつて七堂伽藍(しちどうがらん)を備えて大いに繁栄していたが、その後度々焼失し、安土桃山時代の1574年(天正2年)に織田信長(おだのぶなが)による焼き討ちによって焼失した言われています。その際に本尊・木造聖観音菩薩立像(重要文化財)が勝手に動き、石の上で難を逃れたとも言われ、本尊は石上観音とも言われています。ちなみに木造聖観音菩薩立像は伝教大師・最澄が造仏し、その後真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が一寸八分の黄金仏を刻んで頭上に安置したとも言われています。その後1658年(万治元年)に平安時代に今様(いまよう)の里であった現在の場所に移って再興されました。円興寺にはモミジ・イチョウなどが分布し、樹齢300年を超える大クスノキ(市指定特別保護樹)も植えられています。また円興寺には源朝長の墓や源義朝・源義平の供養塔、そして梁塵秘抄に関する碑などがあります。なお円興寺は飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれています。
大垣市(おおがきし)は岐阜県南西部(西濃地方)に位置しています。大垣市は日本列島の一番ど真ん中にある都市と称しています。大垣市は岐阜県の岐阜市・羽島市・瑞穂市・安八町・神戸町・輪之内町・垂井町・関ケ原町・池田町・養老町、滋賀県の米原市・多賀町、三重県のいなべ市に接しています。大垣市は編入により、東方の墨俣地区・南西方の上石津地区が飛び地になっています。大垣市は岐阜県南西部から愛知県北西部などに広がる濃尾平野(美濃平野 )北西部に位置し、東部を木曽三川(きそさんせん)に数えられる木曽川水系の一級河川・揖斐川(いびがわ)が南流しています。大垣市には市域に堤防で囲まれた水防共同体輪中(わじゅう)があります。大垣市は弥生土器が出土したり、古墳群があったりすることから古くから開けていたとも言われています。大垣市は奈良時代に東大寺の荘園・大井荘が置かれ、不破駅も置かれたと言われています。大垣市は室町時代の1535年 (天文4年) に大垣城が築城されるとその城下町になり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に大垣城が一時西軍の本拠地になりました。大垣市は江戸時代に美濃路の宿場町・揖斐川の河港として発達しました。なお大垣市は古くから交通の要衝で、東海道本線・樽見鉄道・養老鉄道が通じ、名神高速道路のインターチェンジもあります。
*参考・・・円興寺(アクセス・歴史・・・)
【円興寺 見どころ・文化財】
円興寺の見どころは円興寺の紅葉です。円興寺の紅葉は例年11月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・イチョウなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【円興寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0584-71-4539(円興寺)
【円興寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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