金閣寺(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

金閣寺

金閣寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。金閣寺見どころ・金閣は1398年(応永5年)頃に建立されたが、1950年(昭和25年)の放火によって焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。再建には政府・京都府からの補助金や経済界などの寄付金が使われ、金閣の三層と二層の外面に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)が使用されました。

【金閣寺 アクセスマップ】
場所・・・京都府京都市北区金閣寺町1

【金閣寺 アクセス・交通】
*京都駅から市バス・101系統(B2乗り場)または205系統(B3乗り場)の場合、金閣寺道(徒歩約3分)
*嵐電(京福電鉄)北野線・北野白梅町駅(徒歩約20分)

【金閣寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【金閣寺 時間(要確認)】
9:00~17:00
年中無休

【金閣寺 料金(要確認)】
大人400円、小学生・中学生300円

【金閣寺 歴史・簡単概要】
金閣寺(きんかくじ)・鹿苑寺(ろくおんじ)は1224年(元仁元年)に西園寺家の祖で、公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が氏寺・西園寺を創建し、山荘・北山第を営んでいた場所です。その後北山第・西園寺を受け継いだ西園寺公宗(さいおんじきんむね)が南朝初代天皇で、第96代・後醍醐天皇を暗殺しようとした謀反で処刑されて荒廃し、1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換により、北山第・西園寺を譲り受けて改築・新築して山荘・北山殿を営みました。1394年(応永元年)に義満は将軍職を長男・足利義持(室町幕府4代将軍)に譲ったが、その後も北山殿で政務を行いました。1398年(応永5年)に金閣(舎利殿)を建立し、七重大塔(北山大塔)も建立したと言われています。しかし1408年(応永15年)に義満が亡くなると足利義持は北山殿に住んでいた異母弟・足利義嗣を追放して自ら北山殿に入ったが、翌1409年(応永16年)に北山殿の一部を破却して三条坊門第に移りました。その後義満の妻・北山院(日野康子)の御所となったが、1419年(応永26年)に北山院が亡くなると金閣以外の伽藍は解体され、南禅寺・建仁寺に移されました。その後1420年(応永27年)に義満の遺言により、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を勧請開山として禅寺に改められ、義満の法号・鹿苑院殿から鹿苑寺と名付けられました。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって伽藍の多くを焼失したが、江戸時代に再建され、1649年(慶安2年)には金閣も大修理されました。しかし1950年(昭和25年)の放火によって金閣は焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。
金閣寺は1994年(平成6年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・金閣寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ金閣寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【金閣寺 見どころ・文化財】
金閣寺の見どころは1955年(昭和30年)に再建された金閣です。金閣は明治時代の解体・修理の際に作成された図面・写真などに基づいて再建され、再建時に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)、その後の修復では20万枚(20キロ)使用されたそうです。ちなみに金閣に取り付けられていた鳳凰は明治時代の解体・修理の際に尾が破損して取り外され、放火による焼失を免れたそうです。鳳凰は室町時代に造られたと言われています。

重要文化財・・・絹本著色足利義満像、絹本著色達磨図、大書院障壁画、木造不動明王立像(不動堂安置、子元祖元高峰顕日問答語、慈聖院并寿寧院遺誡

【金閣寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・075-461-0013

【金閣寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2017年(平成29年)4月

関連記事

ページ上部へ戻る