水口古城山・水口岡山城跡(桜見ごろ3月下旬頃~)滋賀桜名所
水口古城山・水口岡山城跡
水口古城山・水口岡山城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。水口古城山は滋賀の桜名所です。水口古城山の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。水口古城山には池周辺にソメイヨシノ(染井吉野)など約400本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)山頂から広い範囲が一望できます。
【水口古城山・水口岡山城跡 アクセスマップ】
場所・・・滋賀県甲賀市水口町水口
【水口古城山・水口岡山城跡 アクセス・交通】
*近江鉄道本線水口駅(徒歩約10分)
*新名神高速道路甲南IC(車約15分)
【水口古城山・水口岡山城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【水口古城山・水口岡山城跡 時間(要確認)】
自由
【水口古城山・水口岡山城跡 料金(要確認)】
無料
【水口古城山・水口岡山城跡 歴史・簡単概要】
水口古城山(みなくちこじょうさん)は滋賀県甲賀市水口町水口にあります。水口古城山は水口町東北部にあり、大岡山(おおおかやま・岡山)とも言われる標高約282メートルの山です。水口古城山は周りが侵食されて丘陵地化し、侵食されにくい石英斑石(せきえいはんせき)が孤立して残丘として残ったものと言われています。水口古城山には1585年(天正13年)に豊臣政権の三中老の1人である中村一氏(なかむらかずうじ)が関白・豊臣秀吉の命によって水口岡山城(みなくちおかやまじょう)を築城しました。1590年(天正18年)に豊臣政権の五奉行の一人である増田長盛(ましたながもり)、1595年(文禄4年)に豊臣政権の五奉行の一人である長束正家(なつかまさいえ)が入城したが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に長束正家が籠城したが落城し、その後廃城になりました。水口岡山城は水口城の築城の際に部材として転用され、城跡は御用林として保全されました。ちなみに水口岡山城跡は2017年(平成29年)に国の史跡に指定されました。なお水口古城にはハイキングコースがあり、山頂から広い範囲が一望できます。
甲賀市(こうかし)は滋賀県南部に位置しています。甲賀市の名称は古代以来の郡名に由来しています。甲賀市は滋賀県の大津市・栗東市・湖南市・東近江市・竜王町・日野町、京都府の和束町・南山城村・宇治田原町、三重県の四日市市・鈴鹿市・亀山市、伊賀市の菰野町に接しています。甲賀市は鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)の標高約1,210メートルの御在所岳(ございしょだけ)を源とする一級河川・野洲川(やすがわ)とその支流・杣川(そまがわ)流域に位置し、北部に水口丘陵・東部に鈴鹿山脈・南部に信楽山地があります。甲賀市は江戸時代に東海道の水口宿・土山宿が置かれ、その宿場町として栄えました。甲賀市は甲賀流忍術の発祥地として甲賀忍者や狸の置物が著名な信楽焼(しがらきやき)の地として全国的に知られています。信楽焼は室町時代・安土桃山時代以降の茶道の隆盛とともに茶陶信楽として茶人などに親しまれました。
*参考・・・水口古城山・水口岡山城跡(アクセス・歴史・・・)
【水口古城山・水口岡山城跡 見どころ・文化財】
水口古城山の見どころは水口古城山の桜です。水口古城山の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【水口古城山・水口岡山城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0748-69-2190(甲賀市役所産業経済部観光企画推進課観光振興係)
【水口古城山・水口岡山城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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