妙関寺の乙姫桜(桜見ごろ4月中旬頃)福島桜名所

妙関寺の乙姫桜

妙関寺の乙姫桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。妙関寺の乙姫桜は福島の桜名所です。妙関寺の乙姫桜の桜見ごろは例年4月中旬頃です。乙姫桜は樹齢400年とも言われるベニシダレザクラ(紅しだれ桜)です。乙姫桜は樹高約13メートル・幹回り約3.25です。乙姫桜は1963年(昭和38年)1月18日に白河市の天然記念物に指定されました。

【妙関寺の乙姫桜 アクセスマップ】
場所・・・福島県白河市金屋町116

【妙関寺の乙姫桜 アクセス・交通】
*JR白河駅(徒歩約10分)

*東北自動車道白河IC(車約20分)または白河中央IC(車約10分)

【妙関寺の乙姫桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【妙関寺の乙姫桜 時間(要確認)】
自由

【妙関寺の乙姫桜 料金(要確認)】
無料

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【妙関寺の乙姫桜 歴史・簡単概要】
妙関寺の乙姫桜(みょうかんじのおとひめざくら)は福島県白河市金屋町にあります。妙関寺は江戸時代中期の1692年(元禄5年)に松平直矩(まつだいらなおのり)が出羽国山形藩から陸奥国白河藩に移封された際、母・永寿院(えいじゆいん)の菩提寺である永寿寺を移したのが起源です。その後松平直矩の孫・松平明矩(まつだいらあきのり)が播磨国姫路藩に転封されると永寿寺も姫路に移されました。身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)39世となる永寿寺第4世・貞明院日総上人は白河の地から法華経(ほけきょう)の灯が途絶えることを憂い、一人でこの地に留まり、1741年(寛保元年)に新たに陸奥国白河藩初代藩主になった松平定賢(まつだいらさだよし)に請って、一ケ寺を永寿寺跡に新たに建立し、妙関寺と号しました。妙関寺4世・大寿院日定上人は第114代・中御門天皇(なかみかどてんのう)の御落胤とも言われているそうです。明治時代初期に現在の本堂が建立されました。乙姫桜は樹齢400年とも言われるベニシダレザクラ(紅しだれ桜)です。乙姫桜は仙台藩初代藩主で、伊達氏第17代目当主・伊達政宗(だてまさむね)が桜の苗木を将軍家に献上する途中、住職に所望されて1本の苗木を境内に植えたものと言い伝えられています。乙姫桜は樹高約13メートル・幹回り約3.25です。乙姫桜は花が濃いピンク色で、白河地方にない濃艶な桜の為、乙姫桜と言われるようになったそうです。なお乙姫桜は1963年(昭和38年)1月18日に白河市の天然記念物に指定されました。
白河市(しらかわし)は福島県南部(中通り南部)に位置しています。白河市は福島県の矢吹町・西郷村・泉崎村・中島村・棚倉町・石川町・浅川町・天栄村、栃木県の那須町に接しています。白河市は福島県西白河郡西郷村にある標高約1,835メートルの甲子旭岳(あさひだけ)を源とする阿武隈川水系の本流で一級河川・阿武隈川(あぶくまがわ)上流域に位置し、標高350メートル前後の河川沿岸低地とそれらを取り巻く標高450~600メートルの丘陵地から構成されています。白河市は夏が涼しく、冬が寒冷だが、市街地は積雪が少ない地域です。白河市では5世紀前半頃に鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに奥州三関に数えられる白河の関(しらかわのせき)が築かれたとも言われています。白河市では南北朝時代の1340年(興国元年・暦応3年)に結城親朝(ゆうきちかとも)が小峰城を小峰ヶ岡に築城しました。江戸時時代初期に丹羽氏が城下町を整備し、その後譜代大名・親藩大名の城下町として発展しました。1783年(天明3年)に寛政の改革(かんせいのかいかく)を断行した松平定信(まつだいらさだのぶ)が陸奥白河藩第3代藩主になると殖産興業を推奨しました。白河市には東北本線・東北新幹線・東北自動車道が通じ、電気機器・金属工業などの工場が立地しています。
*参考・・・妙関寺の乙姫桜(アクセス・歴史・・・)

【妙関寺の乙姫桜 見どころ・文化財】
妙関寺の乙姫桜の見どころは妙関寺の乙姫桜の桜です。妙関寺の乙姫桜の桜見ごろは例年4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【妙関寺の乙姫桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0248-22-1147(白河観光物産協会)

【妙関寺の乙姫桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
福島桜名所・福島桜見ごろ

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