多賀大社(アクセス・概要・見どころ・・・)

多賀大社

多賀大社

多賀大社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。多賀大社見どころ・奥書院庭園(名勝)は1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母・大政所の延命を祈願し、成就したことから寄進した米一万石によって太閤橋とともに作庭されたと言われています。多賀大社には秀吉の祈願文が残されているそうです。

【多賀大社 アクセスマップ】
場所・・・滋賀県犬上郡多賀町多賀604番地

【多賀大社 アクセス・交通】
*JR彦根駅から近江鉄道の場合、多賀大社前駅(徒歩約10分)

【多賀大社 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【多賀大社 時間(要確認)】
授与所
7:00~17:00

【多賀大社 料金(要確認)】
奥書院庭園
300円

【多賀大社 歴史・簡単概要】
多賀大社(たがたいしゃ)・お多賀さんは起源が明確ではありません。多賀大社は日本最古の歴史書「古事記(712年(和銅5年)」に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」と記され、それ以前から祀られていたとも言われています。また多賀大社は社伝によると神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が高天原(たかあまはら)から杉坂峠に天降られたとも言われ、神代の昔から祀られていたとも言われています。更に多賀大社は一帯を支配した豪族・犬上氏(犬上君)の祖神を祀ったとも言われています。奈良時代に第44代・元正天皇が病気になった際、神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上すると病気が治癒したとも言われています。「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「近江国犬上郡 多何神社二座」と記され、小社に列したとも言われています。平安時代末期に東大寺大勧進職・俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が参詣し、20年の寿命を授かったとも言われています。その後1494年(明応3年)に神宮寺として不動院が創建され、神宮寺の坊人が全国にお札を配り、中世から近世に掛けて伊勢・熊野とともに庶民が参詣し、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」・「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡が生まれました。1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉が母・大政所(天瑞院春岩)の延命を祈願しました。その後江戸時代に社殿が度々焼失したり、暴風で倒壊したりしたが、江戸幕府・彦根藩の寄進で再建されました。明治維新後の神仏分離令によって神宮寺・不動院が廃絶されました。なお多賀大社は伊邪那岐大神・伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祀っています。また日向神社・子安神社・神明両宮・夷神社・天満神社・秋葉神社・愛宕神社・竃神社・年神神社・熊野新宮・天神神社・熊野神社・三宮神社・金咲稲荷神社などの摂末社も祀られています。多賀大社は古くからお多賀さんの名で親しまれる滋賀県第一の大社で、延命長寿・縁結び・厄除けのご利益があると言われています。
*参考・・・多賀大社(アクセス・歴史・・・)ホームページ多賀大社(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【多賀大社 見どころ・文化財】
多賀大社の見どころは関白・豊臣秀吉が寄進した米一万石により、桃山時代に作庭された奥書院庭園と太閤橋です。奥書院庭園は神宮寺・不動院の奥書院(滋賀県指定有形文化財)に付属していました。奥書院庭園は池泉観賞式庭園で、東北に築山を設け、正面奥に不動三尊石を組み、庭全体に大きな石を配置しています。また鶴島・亀島の出島を配し、枯れ滝の下には石橋が渡されています。太閤橋は半円状の石のそり橋です。太閤橋は1638年(寛永15年)に造られたとも言われています。

重要文化財・・・紙本金地著色調馬・厩馬図 六曲屏風

【多賀大社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0749-48-1101

【多賀大社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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