大寧寺(紅葉見ごろ11月中旬頃~)山口紅葉名所
大寧寺
大寧寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。大寧寺は山口の紅葉名所です。大寧寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~12月上旬頃です。大寧寺では紅葉が見ごろを迎える時期にライトアップが行われます。(要確認)大寧寺には大内氏第16代当主・大内義隆が顔を映して最期を悟ったとも言われる姿見の池・かぶと掛けの岩などがあります。
【大寧寺 アクセスマップ】
場所・・・山口県長門市深川湯本1074-1
【大寧寺 アクセス・交通】
*JR長門湯本駅(徒歩約10分)
*中国自動車道美祢IC(車約35分)
【大寧寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【大寧寺 時間(要確認)】
自由
【大寧寺 料金(要確認)】
無料
【大寧寺 歴史・簡単概要】
大寧寺(たいねいじ)は山口県長門市深川湯本にあります。大寧寺は室町時代前期の1410年(応永17年)に大内氏一族(庶流)である長門守護代で、長門国深川城城主・鷲頭弘忠(わしずひろただ)が石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師を開山として創建しました。深川城城内に大寧寺の前身となる康福寺を創建したとも言われています。その後石屋真梁禅師の高弟・智翁永宗(ちおうえいしゅう)の協力により、現在の場所に移し、山号を大寧寺に改め、曹洞宗(そうとうしゅう)大本山・總持寺(そうじじ)の直末寺として高い寺格を維持しました。1448年(文安5年)に大内氏第13代当主・大内教弘(おおうちのりひろ)が鷲頭氏を滅ぼしたが、その後も大内氏の香華院(こうげいん・菩提寺(ぼだいじ))として庇護されました。1489年(長享3年)に出羽国寒河江氏13代・寒河江知広(さがえともひろ)が寺領を寄進し、子院・澄江院寺(ちょうこういん)を建立しました。1551年(天文20年)に大内氏第16代当主・大内義隆(おおうちよしたか)が家臣・陶隆房(すえはるかた)の謀反・大寧寺の変で自刃し、大寧寺も焼失しました。その後毛利氏に庇護されて再建されたが、1640年(寛永17年)に火災で本堂・山門などが再び焼失しました。1677年(延宝5年)に益田家第21代当主・益田元尭(ますだもとたか)が山門を再建し、1829年(文政12年)に衆寮を建替・増改築して本堂も再建されました。大寧寺にはイロハモミジ・イチョウなどが分布しています。
長門市(ながとし)は山口県北西部に位置しています。長門市は下関市・美祢市・萩市に接しています。長門市は道路網・鉄道網の陰陽(山陽・山陰)連絡路線(いんようれんらくろせん)が発達し、行政機関の集まる萩市とともに山口県北部の中心的都市です。長門市は山陰地方のほぼ西端に位置し、東側・西側・南側の三方を山に囲まれ、北側を日本海に面し、中央を深川川(ふかわがわ)が北流して深川湾に注ぎ、北東端の仙崎の砂嘴の先に青海島(おおみじま)があります。長門市は向津具半島(むかつくはんとう)や青海島により、深川湾・仙崎湾・油谷湾などの天然の良港に恵まれています。長門市は深川平野が「和名抄(承平年間(931年~938年))」に記され、古代から中世後期に掛けて行われた土地区画制度である条里制(じょうりせい)の条里遺構が残され、古くから開けていました。中世に三条家の荘園になって深川庄と称し、近世に正明市(しようみよういち)が農業地帯を背景に市場町として発展し、その後商業・交通の中心地になりました。長門市は仙崎が江戸時代に長州藩の西廻海運の寄港地として栄え、日本海捕鯨の基地にもなりました。現在も小型底引網や刺網漁業の母港となって漁業が盛んに行われ、仙崎かまぼこなどの魚肉練り製品が広く知られています。ちなみに仙崎は童謡詩人・金子みすゞが生まれた町としても知られ、生家跡は金子みすゞ記念館となっています。
*参考・・・大寧寺(アクセス・歴史・・・)
【大寧寺 見どころ・文化財】
大寧寺の見どころは大寧寺の紅葉です。大寧寺の紅葉は例年10月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにイロハモミジ・イチョウなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【大寧寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0837-26-0708(長門市観光案内所YUKUTE)
【大寧寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●山口紅葉名所・山口紅葉見ごろ