布引観音釈尊寺(紅葉見ごろ11月上旬頃~)長野紅葉名所

布引観音釈尊寺

布引観音釈尊寺

布引観音釈尊寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。布引観音釈尊寺は長野の紅葉名所です。布引観音釈尊寺の紅葉見ごろは例年11月上旬頃~11月中旬頃です。布引観音釈尊寺は千曲川の駐車場から本堂・観音堂までの参道が信州の耶馬溪(やばけい)と言われる布引渓谷沿いにあり、滝・奇岩・善光寺穴や寄進された地蔵などがあります。

【布引観音釈尊寺 アクセスマップ】
場所・・・長野県小諸市大久保2250

【布引観音釈尊寺 アクセス・交通】
*しなの鉄道・JR小諸駅(車約7分+徒歩約20分)

*上信越自動車道小諸IC(車約8分+徒歩約20分)

【布引観音釈尊寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【布引観音釈尊寺 時間(要確認)】
確認中

【布引観音釈尊寺 料金(要確認)】
無料

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【布引観音釈尊寺 歴史・簡単概要】
布引観音釈尊寺(ぬのびきかんのんしゃくそんじ)は寺伝によると奈良時代前期の724年(神亀元年)に僧・行基(ぎょうき)が第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)作と言われる聖観音(しょうかんのん)を安置して創建したとも言われています。鎌倉時代の1258年(正嘉2年)に朱色の懸崖造の観音堂宮殿(重要文化財)が建立されました。戦国時代(室町時代後期)の1548年(天文17年)に甲斐の守護大名・武田信玄(たけだしんげん)が東信地方に進攻し、楽巌寺雅方(がくがんじまさかた)・布下仁兵衛雅朝(ぬのしたにへえまさとも)を攻略した際に焼失し、この後武田信玄は釈尊寺を囲む布引城を改修したと言われています。1558年(永禄元年)に望月城城主・望月信雅(もちづきのぶまさ)が再建しました。しかし江戸時代中期の1723年(享保8年)に野火によって焼失し、江戸時代後期に小諸藩第7代藩主・牧野康明(まきのやすあきら)が現在の堂宇の大半を再建しました。布引観音釈尊寺は千曲川の駐車場から本堂・観音堂までの参道が信州の耶馬溪(やばけい)と言われる布引渓谷沿いにあります。布引観音釈尊寺には山内にサクラ・ケヤキ・モミジなどが分布しています。なお布引観音釈尊寺は「牛に引かれて善光寺参り」の布引伝説で知られています。布引観音釈尊寺は信濃三十三観音霊場の第29番札所です。
小諸市(こもろし)は長野県東部に位置しています。 小諸市は長野県の佐久市・東御市・御代田町、群馬県の嬬恋村に接しています。小諸市は長野県と群馬県の境にある標高約2,568メートルの浅間山(あさまやま)南西麓に位置し、長野県東部にある佐久盆地(さくぼんち)北部にあり、標高約2,475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)の長野県側斜面を源とする一級河川・千曲川(ちくまがわ・信濃川(しなのがわ))や深沢川(ふかざわがわ)などが流れています。小諸市は市内の広い範囲から北側の浅間山、南側の標高約2,531メートルの蓼科山(たてしなやま)、そして空気の澄んだ日には遠くに標高約3776.1メートルの富士山も望めます。小諸市は中心市街地が浅間山の泥流の末端にあります。小諸市は平安時代に火山裾野一帯が牧場で、大室・小室の郷とも言われ、地名の由来にもなりました。小諸市は室町時代の1487年(長享元年)に小諸城(こもろじょう)が築城されるとその城下町になりました。小諸市は江戸時代に牧野氏1万5千石の城下町、北国街道の宿場町として発展しました。また小諸市は佐久甲州街道の分岐点でもあり、信濃でも有数の商業中心地として栄えました。小諸市はかつて製糸業の町であったが、近年は機械・食品などの工場が進出しています。小諸市は北東部の浅間山の斜面でブロッコリー・レタスなどの高原野菜が栽培されています。
*参考・・・布引観音釈尊寺(アクセス・歴史・・・)

【布引観音釈尊寺 見どころ・文化財】
布引観音釈尊寺の見どころは布引観音釈尊寺の紅葉です。布引観音釈尊寺の紅葉は例年10月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月上旬頃~11月中旬頃です。紅葉の見ごろにサクラ・ケヤキ・モミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【布引観音釈尊寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0267-22-0568(小諸市観光案内所)

【布引観音釈尊寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
長野紅葉名所・長野紅葉見ごろ

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