鳥羽城跡城山公園(桜見ごろ3月下旬頃~)三重桜名所

鳥羽城跡城山公園
鳥羽城跡城山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。鳥羽城跡城山公園は三重の桜名所です。鳥羽城跡城山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。鳥羽城跡城山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)46本・シダレザクラ(枝垂桜)10本が植えられています。(要確認)ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【鳥羽城跡城山公園 アクセスマップ】
場所・・・三重県鳥羽市鳥羽3-4
【鳥羽城跡城山公園 アクセス・交通】
*JR鳥羽駅・近鉄鳥羽駅(徒歩約10分)
*伊勢自動車道伊勢IC(車約15分)
【鳥羽城跡城山公園 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【鳥羽城跡城山公園 時間(要確認)】
自由
【鳥羽城跡城山公園 料金(要確認)】
無料
【鳥羽城跡城山公園 歴史・簡単概要】
鳥羽城跡城山公園(とばじょうあとしろやまこうえん)は三重県鳥羽市鳥羽にあります。城山公園は鳥羽城跡に整備された公園です。鳥羽城は中世に橘氏(たちばなし)が鳥羽湾に突出した樋の山(ひのやま)に居館を築いた場所だったと言われています。その後桃山時代の1594年(文禄3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家臣で、九鬼氏第8代当主・九鬼嘉隆(くきよしたか)がその居館跡地に鳥羽城を築城しました。鳥羽城は全国でも珍しく、大手門が海側に突出して建てられ、大手波戸水門が出入口となっていました。その後鳥羽城は九鬼家・内藤家・天領・土井家・大給(松平)家・板倉家・戸田(松平)家・稲垣家と城主が目まぐるしく変わり、幕末(江戸時代末期)の1854年(安政元年)の安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)で天守などの建物が倒壊し、修理されないまま1871年(明治4年)に度会県(わたらいけん)が置かれ、同年に鳥羽城が払い下げられて建物が破却されました。鳥羽城跡は鳥羽水族館の裏手に位置し、本丸跡が鳥羽市立鳥羽小学校の運動場、武家屋敷跡が市役所・城山公園・旧鳥羽幼稚園などになっており、本丸跡・武家屋敷跡に石垣が残され、1965年(昭和40年)12月に三重県の史跡に指定されました。城山公園には芝生公園・児童公園・博物館・遊歩道・ハートTOBAのモニュメントなどがあります。城山公園からは鳥羽湾を一望できます。
鳥羽市(とばし)は三重県南東部に位置しています。鳥羽市の名称は古代の御厨(みくり)名で、船泊りを意味する泊浦 (とまりうら) に由来しています。鳥羽市は伊勢市・志摩市に接しています。鳥羽市は北側を伊勢湾(いせわん)・東側を遠州灘(えんしゅうなだ)・南側を熊野灘(くまのなだ)に面する志摩半島(しまはんとう)北東端に位置し、北側を伊勢湾・東側を遠州灘に面しています。鳥羽市は古くから伊勢湾口に臨む鳥羽港が伊豆下田と並ぶ風待ち港・避難港として栄え、戦国時代に織田信長方の水軍である九鬼水軍(くきすいぐん・織田水軍)の本拠地になりました。江戸時代に鳥羽藩の城下町として発展し、江戸と大坂を結ぶ帆船寄港地になりました。ちなみに鳥羽市は現在沿岸漁業基地で、ノリ・カキの養殖や海女によるイセエビ・アワビ・サザエなどの漁が盛んに行われています。伊勢志摩の海女の磯笛は日本の音風景100選に選ばれているそうです。鳥羽市は参宮線の終点・近畿日本鉄道鳥羽線と志摩線の結節点で、伊勢志摩スカイラインなどが通っていたり、水中翼船・ホバークラフト・伊勢湾フェリーが運航されたりしたりることから鳥羽水族館・海の博物館・イルカ島海洋遊園地などの観光施設や神島・答志島・菅島などの観光名所があります。
*参考・・・鳥羽城跡城山公園(アクセス・歴史・・・)
【鳥羽城跡城山公園 見どころ・文化財】
鳥羽城跡城山公園の見どころは鳥羽城跡城山公園の桜です。鳥羽城跡城山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【鳥羽城跡城山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0599-25-1157(鳥羽市役所観光課)
【鳥羽城跡城山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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