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カテゴリー:東京
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池上本門寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
池上本門寺見どころ・五重塔は江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠が15歳の時に悪性の疱瘡になり、乳母・岡部局が「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」として、日惺聖人に平癒祈願を依頼して快癒し、秀忠の将軍就任後にそのお礼と武運長久を祈り、1608年(慶長13年)に建立されました。 -

増上寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
増上寺は徳川家の菩提寺だったことから江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠、第6代将軍・徳川家宣、第7代将軍・徳川家継、第9代将軍・徳川家重、第12代将軍・徳川家慶、第14代将軍・徳川家茂の墓所が設けられていたが、太平洋戦争中の2度の空襲(1945年3月10日・5月25日)によって大きな被害を受けました。 -

西新井大師總持寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
西新井大師總持寺は牡丹の名所で、「関東花の寺百か寺」の東京1番の札所になっています。西新井大師は境内に5か所の牡丹園があり、約100種・約2,500株の牡丹が植えられ、「西の長谷寺(奈良桜井市)・東の西新井」と称されています。ちなみに牡丹は例年4月上旬頃から見ごろを迎えます。 -

護国寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
護国寺の月光殿は桃山時代に滋賀・三井寺(みついでら・園城寺(おんじょうじ))の塔頭・日光院(にっこういん)の客殿として建立されたが、その後日光院が廃され、1928年(昭和3年)に現在の場所に移築されました。月光殿は桃山時代の書院様式を伝える貴重な建築物と言われています。 -

柴又帝釈天題経寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
柴又帝釈天題経寺の板本尊には片面に「南無妙法蓮華経」の題目が書かれ、法華経・薬王品の経文が彫られ、もう一方には右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒の相を表した帝釈天本尊が彫られています。帝釈天はインド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」の中で最も多くの賛歌を捧げられている軍神・武勇神インドラです。 -

富岡八幡宮(アクセス・概要・見どころ・・・)
富岡八幡宮の深川祭(水掛け祭・深川八幡祭り・富岡八幡宮例祭)は1641年(寛永18年)8月3日に江戸幕府3代将軍・徳川家光と側室のお楽の方(宝樹院)の間に世子(長男)で、4代将軍・家綱が誕生し、1642年(寛永19年)に江戸幕府の命により、世継ぎの祝賀を行ったのが起源とも言われています。 -

高幡不動尊金剛寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
高幡不動尊金剛寺の不動明王像は1335年(建武2年)8月4日の大風によって大破し、胸・腹を中心に修理されて全身の漆も塗り替えられ、光を浴びるとあたかも汗をかいたように見え、戦勝祈願の武将に全身に汗をかいて願いを聞いて下さると広まり、「汗かき不動」と言われるようになりました。 -

目黒不動尊瀧泉寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
目黒不動尊瀧泉寺の本尊・目黒不動尊は江戸時代初期に江戸幕府3代将軍・徳川家光の愛鷹が鷹狩の最中に行方知れずになり、家光が自ら目黒不動尊に額づいて祈願するとたちまち愛鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰り、家光がその威力を尊信して大伽藍を復興されたと言われています。 -

日枝神社(アクセス・概要・見どころ・・・)
日枝神社の山王祭は江戸幕府初代将軍・徳川家康を神の祭礼として、江戸幕府が費用を負担したことから御用祭(ごようまつり)とも、天下祭(てんかまつり)とも言われました。江戸時代初期の3代将軍・徳川家光以来、江戸城内に入御した神輿を歴代将軍が上覧拝礼するようになりました。 -

雑司が谷鬼子母神堂(アクセス・概要・見どころ・・・)
雑司が谷鬼子母神堂が祀る鬼子母神は王舎城の夜叉神の娘で、嫁いで多くの子供を産んだが、幼児を取って食べることから恐れ憎まれていました。お釈迦様は鬼子母神を過ちから救う為、鬼子母神の末っ子を隠したところ嘆き悲しんで過ちを悟り、その後お釈迦様に帰依して安産・子育の神になりました。























