大阪紅葉見ごろ・時期
大阪紅葉見ごろ・時期を紹介しています。大阪府にはいずれも日本紅葉の名所100選に選ばれた箕面公園、犬鳴山渓谷や牛滝山・大威徳寺、西江寺、瀧安寺、箕面大滝、弘川寺などの紅葉名所があります。ちなみに箕面公園では紅葉が見ごろを迎える時期にイロハモミジなどが色付きます。
【大阪紅葉見ごろ・時期 箕面公園】日本紅葉の名所100選
●紅葉見ごろ・時期・・・例年11月下旬頃
●紅葉樹木種類・・・・・イロハモミジ
箕面公園(みのおこうえん)は大阪府箕面市にあります。箕面公園は標高約355メートルの箕面山の山麓にある面積約83.8ヘクタールの公園です。箕面公園には日本の滝百選に選ばれている落差約33メートルの箕面大滝(みのお大滝)があります。箕面大滝の名称は木々の間から流れ落ちる姿が農具の箕(み)に似ていることに由来し、箕面大滝が箕面の地名の由来になっていると言われています。箕面公園には箕面駅から箕面大滝まで淀川水系の一級河川・箕面川の渓流に沿って続く約2.8キロの滝道(たきみち)、そして桜道・望海道・天狗道・地獄谷道・風呂ケ谷道・雲隣台道など総延長約8キロにも及ぶ散策路が整備され、森林浴の森100選に選ばれています。
箕面公園 大阪紅葉見ごろ・時期
【大阪紅葉見ごろ・時期 犬鳴山渓谷】日本紅葉の名所100選
●紅葉見ごろ・時期・・・例年11月中旬頃~11月下旬頃
●紅葉樹木種類・・・・・モミジ
犬鳴山渓谷(いぬなきさんけいこく)は大阪府泉佐野市にあります。犬鳴山渓谷(犬鳴渓谷)は大阪府と和歌山県を隔てる和泉山脈(いずみさんみゃく)に属する標高約558メートルの燈明ヶ岳(とうみょうがだけ・西ノ燈明ヶ岳)一体を言う犬鳴山にあります。犬鳴山の名称は第59代・宇多天皇の時代(887年~897年)、犬を連れた紀伊の猟師が一匹の鹿に狙いを定めて弓を射ようとした時、猟師を呑もうと狙っていた大蛇に犬がけたたましく吠え、逃げた鹿に怒った猟師が腰の山刀で吠え続ける犬の首に切り、切られた犬の首が大蛇の頭に噛み付いてともに倒れ、猟師の危急を救った義犬伝説に由来しています。猟師は犬の死骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆(そとうば)とし、七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)に出家して僧となり、その話を聞いた宇多天皇が勅号「犬鳴山」を与えたとも言われています。
犬鳴山渓谷 大阪紅葉見ごろ・時期
【大阪紅葉見ごろ・時期 牛滝山・大威徳寺】
●紅葉見ごろ・時期・・・例年11月中旬頃~11月下旬頃
●紅葉樹木種類・・・・・イロハモミジ・イチョウ
牛滝山(うしたきさん)・大威徳寺(だいいとくじ)は大阪府岸和田市大沢町にあります。牛滝山は飛鳥時代に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が山中に大威徳寺(だいいとくじ)を創建し、葛城山(かつらぎさん)を聖地とする葛城修験道(かつらぎしゅげんどう)の霊場になりました。大威徳寺の寺号は平安時代前期に比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の僧・恵亮(えりょう)が三の滝での修行中に滝の中から牛に乗った大威徳明王(だいいとくみょうおう)が現れ、その姿を刻んで本尊として安置したことに由来しています。大威徳寺では平安時代前期に真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)も修行し、多宝塔などを建立したとも言われています。
牛滝山・大威徳寺 大阪紅葉見ごろ・時期
【大阪紅葉見ごろ・時期 西江寺】
●紅葉見ごろ・時期・・・例年11月中旬頃~12月上旬頃
●紅葉樹木種類・・・・・イロハモミジ
西江寺(さいこうじ)は大阪府箕面市箕面にあります。西江寺は古来から瀧を中心とした山林の修行道場だったと言われています。西江寺は寺伝によると飛鳥時代の658年(第37代・斉明天皇4年)に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が開山したとも言われています。役行者・役小角は日本の滝百選に数えられる落差約33メートル・滝幅約5メートルの箕面大瀧(箕面滝(みのおたき))で修行していたある日、山獄鳴動して光明が輝き、光の中から老翁に化身した仏教の守護神である天部の一尊・大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)が現れ、「この山を日本最初の歓喜天霊場とし、万民の諸願成就のため未来永劫ここに鎮座する」と申されたとも言われ、役行者・役小角は標高約355メートルの箕面山(みのおやま)を日本最初の歓喜天霊場としたとも言われています。
西江寺 大阪紅葉見ごろ・時期
【大阪紅葉見ごろ・時期 弘川寺】
●紅葉見ごろ・時期・・・例年11月中旬頃~11月下旬頃
●紅葉樹木種類・・・・・イロハモミジ・ヤマモミジ・サクラ・ドウダンツツジ
弘川寺(ひろかわでら)は大阪府南河内郡河南町弘川にあります。弘川寺は飛鳥時代の665年(第38代・天智天皇4年)に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が創建し、自ら刻んだ薬師如来像を本尊として安置したとも言われています。その後676年(天武天皇5年)に祈雨法が修せられ、勅願寺となり、第40代・天武天皇から山号・寺号を賜ってとも言われています。奈良時代に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が修行したとも言われています。平安時代前期の812年(弘仁3年)に真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が中興し、1188年(文治4年)に空寂(くうじゃく)が第82代・後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇が回復したことから奥の院として善成寺が建立され、寺号の勅額を賜りました。
弘川寺 大阪紅葉見ごろ・時期