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過去の記事一覧
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熊野速玉大社(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
熊野速玉大社の御神木・梛(ナギ)は熊野権現の象徴とされ、古来から梛は凪に通じるとして道中安全を祈り、梛の葉を懐中に納めて熊野詣する習わしになっていました。また梛の葉は熊野三山で配布される神札・熊野牛王符(くまのごおうふ)とともに熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうです。 -

熊野本宮大社(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
熊野本宮大社は1889年(明治22年)の大水害までは熊野川中州の旧社地・大斎原(おおゆのはら)に中四社・下四社が造営されていたが、水害後に中四社・下四社は再建されずに2基の石祠が建てられ、2000年(平成12年)には高さ約33.9メートル・横約42メートルの日本一高い大鳥居が建てられました。 -

斎場御嶽(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
斎場御嶽などの御嶽は琉球王国時代に神に仕える者は聞得大君(きこえおおきみ)などの女性とされたことから男子禁制で、国王が入口の御門口(うじょうぐち)から先に入る際には袂(たもと)の合わせを女装に改める必要があったと言われています。また庶民は御門口を越えて入ることすら許されなかったそうです。 -

識名園(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
識名園はかつて「心」の字をくずした心字池(しんじいけ)周辺などに梅・藤・桔梗(ききょう)が植えられ、常夏の沖縄にありながら春には池の東の梅林で梅、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗を楽しむことができるように巧みに造られていたそうです。 -

玉陵(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
玉陵を父・尚円の遺骨を改葬する為に築いた琉球王国第二尚氏王統・第3代国王である尚真(しょうしん)は禅宗・臨済宗を琉球に伝えた南禅寺の僧・芥隠承琥(かいいんしょうこ)に深く帰依し、1494年に鎌倉五山第2位に列せられる円覚寺を模し、第二尚氏の菩提寺として円覚寺(えんかくじ・ウフティラ)を創建しました。 -

園比屋武御嶽石門(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
園比屋武御嶽石門ゆかりの琉球王国は第一尚氏王統・第2代目国王である尚巴志(しょうはし)が1406年に中山王(察度王統)・武寧、1416年または1422年に北山王(怕尼芝王統)・攀安知、1429年に南山王(大里王統)・他魯毎を滅ぼし、三山(中山・北山(山北)・南山(山南))を統一したことによって成立しました。 -

首里城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
首里城跡ゆかりの琉球王国第一尚氏王統・第2代目国王である尚巴志(しょうはし)は21歳の時に父の後を継いで南山・佐敷按司になり、1406年に中山王(察度王統)・武寧、1416年または1422年に北山王(怕尼芝王統)・攀安知、1429年に南山王(大里王統)・他魯毎を滅ぼし、三山(中山・北山・南山)を統一して琉球王国を成立させました。 -

中城城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
中城城跡ゆかりの護佐丸(ごさまる)は山田城(やまだぐすく)で生まれ、1416年または1422年に琉球王国第一尚氏王統・第2代目国王である尚巴志(しょうはし)が北山王を滅ぼした今帰仁城(なきじんぐすく)攻略に参戦し、尚巴志とともに三山(中山・北山(山北)・南山(山北))統一を成し遂げました。 -

勝連城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
勝連城跡ゆかりの阿麻和利(あまわり)は屋良村の百姓の子として生まれ、身体が弱かったことから山に捨てられたこともあったが、やがて茂知附按司(もちづきあじ)に召し抱えられ、その後悪政を行った茂知附按司を倒して10代目城主になり、中国などと貿易を積極的に行って大陸の技術などを取り入れたそうです。 -

座喜味城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
座喜味城跡を築城したと言われている護佐丸(ごさまる)は曾祖父がかつて今帰仁城主(北山城主)であったが、1322年に北山王・怕尼芝(はねじ)に滅ぼされました。その後中山王・尚巴志(しょうはし)が北山征伐の軍を組織すると有力按司として参加し、北山王国滅亡後には今帰仁城主の血筋を引く者として北山守護職の要職に任命されました。























